クズとブスとゲス 感想

映画「クズとブスとゲス」を観ました。
8月13日、渋谷ユーロスペースにて。

本作の大きな特徴は、登場人物たちが名前で呼び合わないこと。
「おい」とか「おまえ」とか「あいつ」みたいな呼び方だけで、固有の名前は一切出てこなかった気がします。
昭和の熟年夫婦みたいですね。

実は「クズ」と「ゲス」の違いがいまひとつわかっていないのですが、なんとなくのイメージだと、「クズ」はやることなすこと失敗だらけでうまくいかない人、「ゲス」はある程度自覚的にひどいこと、非道なことをやらかす人、みたいな感じでしょうか。

だとすると「クズ」がスカジャン着たツッパリみたいな頭の人、
「ゲス」がスキンヘッドに鼻ピアスの人、でしょうか。

「ブス」は(個人的にはこの単語だけで女性であることを前提にしてしまうのですが)主要な登場人物として出てくるのはスカジャンツッパリさんの交際相手くらいでしょうか。不細工には見えませんでしたけれども。

もうひとりスキンヘッド鼻ピアスさんの母親も女性で、こちらはさほど見目麗しい感じでもないので「ブス」候補ではありますが、物語の関与度合いは小さいので除外かと。

そんな、スカジャンツッパリさんと、その交際相手さんと、スキンヘッド鼻ピアスさん、あたりを中心にした日常のお話でしょうか。

あ、あともうひとり、上記3人がよく行く飲み屋の店長さん(眼帯付き)もわりかしお話に絡んできてるかも。

ゲスの人のゲスっぷりは、それはもうひどいものでして。

バーとか喫茶店で、一人でいる女性を見かけると強引な感じで近寄って話しかけます。
女性からすればあんな風貌の見知らぬ男性が話しかけてくるだけでも怖いと思うのですが、ゲスの人は、言葉巧みにジョークを交えたり「相談に乗るよ」みたいなことを言って親身な素振りを見せて、女性の警戒心を解いていきます。

あの状況になってしまうと、もはや逃げようが無いように思えます。
話しかけられた時点、もしくは、ターゲットとしてロックオンされてしまった時点で、女性の逃げ道は断たれてしまっているように思えます。
詰んでます。

別の場面の喫茶店でのように店員さんが割り込んでくれればいいのですが、話をし始めてしまうと店員さんとしても割り込むのは難しくなってしまいそうです。

その後の手口も含めてまさしく「ゲス」としか言いようがないわけですが、
こういうゲスを相手にしなければならないにもかかわらず、女性に「自分の身は自分で守れ」などと言うのは酷なように思えます。

ぼくには、あの状況を回避する手立ては思いつきませんでした。

エンディングの焚き火を見つめる二人の余韻が、よかったです。

そういえば、あの焚き火はアナログなアレだったからこそ成立しましたけど、デジタルなアレだったら焚き火では済まないのだろうと思うと、さらに怖さがいや増すようです。