THE GUILTY/ギルティ 感想

映画「THE GUILTY/ギルティ」を観ました。
2019年3月2日、横浜ブルク13にて。
原題:DEN SKYLDIGE

デンマークのお話

・元々は現場の刑事さんか何かだったっぽい人が、警察の緊急ダイヤルで電話番をしている、という状況で
・薬物で気持ち悪くなって救急車を呼んでほしいとか、風俗街で車に女性を乗せたら荷物を盗まれたとか、といった通報の相手をしつつ、
・翌日には何やら主人公本人が関わる裁判が開かれるご様子

・そんなところに、女性から、車に乗せられてどこかへ連れ去られている、という通報があって、
・主人公さんはそれをなんとか解決しようとするわけですが、
・あくまでも本人は緊急ダイヤルのコールセンター内にいて、
・電話を通して、あちこちと連絡をとって指示したり情報を聞いたりといったことしかできず、
・自分の目では確認できない伝聞の情報から状況を推測することしかできない中で、
安楽椅子探偵ならぬ、電話番刑事みたいなことをやることになります

・こういう場合に、「事実」と「推測」とをしっかり区別することが重要だと思うのですが、本作の主人公さんはともかく、ぼく自身にとってはこの電話番のお仕事というのはとても難しそうに見えます。

・冒頭の「気分が悪くなったから救急車を呼んでほしい」という通報に対して、通報者の発言をそのまま鵜呑みにするだけでなく、通報者がどういう状況なのかをより詳しく聞き出そうとする姿勢がまずあって、
・さらに、緊急ダイヤルに掛けてきた電話番号がデータベースに登録されているらしく、電話の持ち主の氏名や住所や過去にも同じような通報があったかといった履歴も目の前のモニターに表示されることで、コンピューター支援的な環境も整っているようで

・一度電話を受けた番号は担当者として記録されて同じ番号からの電話は同じ担当者につながるようになっているようですが、
・同時にコンピューターにも記録されるので勤務時間が終わって別の人に交代しても、最低限の情報は引き継がれるようになっているっぽいような

・といっても本作では主人公さんが意固地になって残業したので担当者の引き継ぎまではいきませんでしたけど

閑話休題、データベースで通報者の個人情報だったり、電話の中継点からおおよその発信場所を知ることができたりと、コールセンターの中に居ながらも、外部の情報を得ることができるようになっているわけですが、

・とはいえ、あくまでも言葉を介してのコミュニケーションなので、その通報が事実なのか虚言なのかといった判断しなければならないはずで、

・「気持ち悪いから救急車を呼んでほしい」という通報に対して、本当に緊急を要するのか、誤報だったりイタズラだったりしないのか、と疑っていたらきりがないでしょうし、基本的には通報者の言葉を信じるべきなのかしら

・「誘拐されている」という通報についても、主人公さんは即座に、その通報を信用して対応し始めましたけど、見ていたぼくは、ついつい疑って見てしまっていました
・そういうところが初動の差になるのかしら

 

・考えがまとまらないままつらつらと書き進めてきましたが、つまるところ、「言葉」というものはそれだけでどの程度の事を伝えることができるのか、というのが本作のテーマでもあるのかしら

・家に取り残された子供さんと通話する場面
・子供さんは、幼いながらも「事実」を伝えようとしていました。
・少なくとも、「事実とは異なること」を言ってはいなかったように思います。
・ただ、あくまでも子供さんから見た「事実」であって、その後に駆けつけた警察官が見た「事実」とは、ちょっぴり違うものだったのかもしれません

・「嘘」という言葉は、事実とは異なると知りながら意図的に事実であるかのように言うことだと思っていて、
・知識や情報が足りなかったり単に知らなかったり勘違いしたりで間違ったことを言うこととは区別できるといいのに、と思うのですが、
・また一方で、伝えるべきことを意図的に隠しておいて相手が誤解するように仕向けるのは「嘘」は言ってないとしても実質的には嘘をついてるようなものだと思うのですが、

・なんとなくこういう、言葉って何だろう、みたいなことを考えたくなってしまいました。

 

・結局のところ、この子供さんの件が後々に事件の全容にも結びついていたのかもしれません
・家族関係というだけではなくて、子供さんの幼さゆえの言葉足らずと、発端となった通報者さんの立場みたいなものとの相関性みたいな部分が

 

・主人公さんが裁判を控えているというところにもつながるのか
・裁判も「言葉」の重みが大きい場でしょうし