ヤングアダルトニューヨーク 感想

映画「ヤングアダルトニューヨーク」を観ました。
8月14日、TOHOシネマズみゆき座にて。
字幕版。
原題:WHILE WE'RE YOUNG

40代半ばで大学の講師か何かで食いつないでいる自称映画監督(以前はそれなりの作品を撮っていたけど今は足踏み状態)が新進気鋭の若手と仲良くなって振り回されるお話。


40代の主人公がベン・スティラーさん、20代の若手がアダム・ドライバーさん。

はじめのうちは、アダムドライバーがベンスティラーさんを慕っているかのようでしたが、次第に逆転していく様子が、見ていて「うわぁ」という感じ。
いたたまれないというか。

ベンスティラーさん夫妻は流行に乗ってiPhoneやらSNSやらなんやらデジタル機器を駆使しようとしつつ逆に機器に振り回されているみたいでもある一方で、
アダムドライバーさんはLPレコードに凝っていたり、デジタル機器とは距離を置こうとしているご様子。

さらに、ベンスティラーさんご夫妻は過去に流産の経験があって子供を持つことは難しそうな中、同世代の友人たちは子育てに励んでいて取り残されている感じ。

個人主義だの言ってはいても、やはり子供を育てて親になっていくということに価値を見出してしまう社会的な側面があることは否めないみたいです。

ベンスティラーさんは、自身はまだまだ若いつもりでいたものの、体力は衰えてきているし、身体にもガタがきているし。
(余談ですが、字幕では膝の関節炎となっていた気がしましたが、日常ではあまり聞かない表現のような気がしたものの、膝が痛い痛いと言ってる人は見かける気がするのでそんなもんなのかしら)


映画について素人ではありますが、この映画を見て思ったこと。
ドキュメンタリー映画というジャンルについて。

(1)、オーソドックスなのは、当事者へのインタビューや密着取材・密着撮影することで、対象のありのままの姿を映し出すものでしょう。

(2)一方で、再現ドラマのような形式もあり得るかもしれません。
当事者の証言に基づいて、対象となる出来事を再現しようとする試み。
(もっとも、この場合はドキュメンタリーではなくて「事実に基づく物語」にすぎないかもしれません。)



(1)の場合は、極力「事実そのもの」であることが求められる気がしますけれども、
(2)の場合には、ある程度の脚色や改変が加えられて、事実とは少し違うかもしれないけれどもよりドラマチックにする演出であっても許容される気がします。

では、(1)のように見える手法でありながら、内容的には(2)のようになっている作品はどうか。

学生時代の同級生にいきなり会いに行って久しぶりに再会する場面を撮影していたはずが、実は事前に連絡をとって打ち合わせしていてそれを隠していた、というものだったとしたら。

いわゆるヤラセ映像は、それがヤラセであることが明確であればアリだけれども、本当のありのままのものであるかのように装ってヤラセをするのはナシ、という風潮があるような気がします。

素人な上に調べものも下手っぴなので、ヤラセの線引きがどのように規定されているのかわかりませんけれども、この映画を見た限りでは、作り手の良心に任されている部分が大きいらしいようにも見えます。

あくまでも誠実であろうとする人もいるし、より面白くなるならそれでいいじゃんという人もいる。

そういうものなのかもしれません。