奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ 感想

映画「奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ」を観ました。
9月3日、シネギャラリーにて。
字幕版。

学級崩壊状態の、たぶん高校生たちが歴史を題材にしたコンクールに参加するお話。
事実に基づく物語。

フランスの海水浴場で、イスラム系の女性が髪の毛を隠す形状の水着の着用が禁止されたとかなんとかのニュースに関連して、フランスにおける宗教的な要素の扱いの複雑さを知ったばかりだったので、個人的にはタイムリーな題材、であるかのように思えたのですが、結果的には、そこまで宗教間の対立的な側面は強調されていなかった気がします。

ナチスや収容所の話題というのはそれだけ大きいものなのかもしれません。

ともあれ、「勉強」とか「学習」に取り組む際の態度について、考えさせられます。

自分はわりと表面的に資料を集める程度で満足しがちなところがあったのですが、そこに自分なりの意見を見出しなさい、なんて言われたらものすごく困っていただろうと思います。

正直なところ、学校という枠組みの中でだけ通用する成績に関しては、そんな余計なことを考えずに済んでよかったと思ってしまう部分もあります。

が、学校を出て社会の荒波に流されるようになってみると、自分の意見を持つことの大切さを感じる場面もあったりします。
自分の意見が無いばかりに流されてしまうのは、のちのちになって後悔という形にならないとも限りません。


なんて自分語りはともかく。

クラスの中に白色系の人も黒色系の人も黄色系の人も混在していて、それでもそれなりに仲良くやっているし、学級崩壊といっても教師に対して一致団結して刃向かうような場面もあったりして、必ずしも協調性がないわけではなくて、単に、自分がおちこぼれだと感じてしまって目標を見失っていたりとか、劇中でも指摘されていたように「おちこぼれであるかのように振る舞うことで自分を守ろうとしている」ような状態だったので、
彼らにハッキリした目標(歴史コンクールへの参加)を与えるという手段を選べたのかもしれません。

とはいえ、彼らが参加を決心する過程は明示はされていなかった気がするので、あくまでも生徒たちの自主性に任せているかたちでした。


それからもう1点、グループワークを進めていく中で、周りと協調できずに衝突してしまう男子生徒がいました。
先生が怒って、協調できないなら出ていきなさいと言うと彼は本当に出て行ってしまいました。

それでもなんやかんや和解して合流するだろうと思っていたのですが、結局戻らないまま終わったことに、びっくりしてしまいました。

大会後、教室で生徒たちをねぎらう場面があって、先生は「みんなで協力したから」とか言うわけです。
参加しなかった彼もそこにいるのにもかかわらず。

その時の彼の心情は描写されていませんし、ちらっと映った表情からはその内心を読み取るのは難しかったです。
とくべつ悔しがったり沈んだりしているわけでもなく、かといって祝福しているわけでもなく、しいていえば所在なさそうな程度にぼくには見えました。

日本の、とくにアニメ作品に多く触れていると、グループで何かをやる際に衝突してはみ出す人がいたとしても後々には和解して合流するのがセオリーみたいに思ってしまう部分があったのですが、
この映画はそのあたりずいぶんとドライなように感じました。
個人主義ってこういうことなのかもしれません。

彼もコンクールに参加したクラスメートと険悪になったわけではなくて、道端でばったり出くわしたら目配せしたりサムズアップを送りあったりしていて、ホッとしました。