夢二 愛のとばしり 感想

映画「夢二 愛のとばしり」を観ました。
8月12日、シネ・リーブル池袋にて。
原作未読。

竹久夢二のお話。

なんとなく見聞きしたこともあったような気はしますけれども、わりとどうしようもない人だったんだなあ、という感想。

作品と作者の人格は別物、という側の人。
知らずに済むなら知らないに越したことはないかもしれません。


女性関係のぐだぐだ、
とくに正妻であるらしい黒谷友香さんの迫力がものすごいです。

たしか既に結婚して子どもがいる状態から映画は始まっていたので、どういった経緯で連れ添ったのかもわからなければ、どういった経緯で崩壊していったのかも具体的に語られるわけでなく、断片的に提示される情報から推測するしかないわけですが、
夢二さんの女癖が悪そうな一方で、黒谷友香さんの側も夢二さんに対する不満からか、けっこう過激な行動をしていたような気がします。
(このあたり「花芯」と記憶がごちゃ混ぜになっているかもしれません)


夢二さんが手を出して受け入れてくれた女性に、夢二さんが勝手に本名とは別の呼び名をつけてるのが、なんだか不思議な感じでした。

名前はついていることに意味があるんだなんていいますが、呼び名を与えることで所有権とか支配関係を明確にしようとしていたみたいな読み方もできそうですが、どちらかというと夢二さんは女性に依存したがっていたようにも、甘えたがっていたようにも見えた気がするので、単純な主従関係とはまた少し捻れた共依存みたいな関係かもしれません。


共依存といえば、夢二さんと黒谷友香さんが薄暗い海辺でプロレスみたいな取っ組み合いを演じる場面がけっこうな長回しであって、この二人もなんとも奇妙でめんどくさいおかしな信頼関係があるのかもしれません。

映像の面では、画面の構図というのかレイアウトというのか、凝っている場面が多かったように記憶しています。

鏡越しに会話をしてみたり、障子や天井の梁を手前に据えてその向こう側に人物がいたりとか。

そういう画面構成にどのような意図があるのかまで読み取ることはできませんけれども、おもしろい趣向に思えました。


竹久夢二さんは美人画で有名だったと思いますが、本人は絵よりも詩を志したかったみたいなことを言っていて、絵なんてものは生活のために描いてるんだくらいの勢いで、才能がある人ってすごいなあと思いました。