劇場版ムーミン 南の海で楽しいバカンス 感想
映画「劇場版ムーミン 南の海で楽しいバカンス」を観ました。
リヴィエラって、どこかの国の地名かと思っていました。恥ずかしい。
大きくわけると、
1. ムーミン谷に海賊さんがやってくるお話、
2. 南国へ旅行に行く道中のお話、
3. リヴィエラでのお話、
の三本でしょうかしら。
1. 海賊編
ムーミン一家ののんきさというか、気ままな感じが全開。
沈没船を見てお宝を探しに潜入するあたりはビデオゲームのRPG みたいな感覚になりました。
あんな宝箱然とした宝箱も珍しい気がします。
ミィさんは、はじめから谷に居たレギュラーメンバーかと思っていたのですが、今作では、海賊さんの捕虜として登場して、ムーミンさんたちとは初めましてなご関係。
ミムラ姉さんは、実在の某女優さんの芸名の由来だという話はよく聞きましたけれども、もしかしたらオリジナルを見たのは初めてかもしれません。
ふわふわとした天然系、とでも表現すればいいのでしょうかしら。
(「天然」という単語は、元来はおそらく「天然ボケ」みたいに、意図的ではなく純粋な素のままでありながらどこか世間ずれしている感じを表現する単語だったろうと思いますけど、いつの間にやら「天然」だけで通じるようになっているあたり、「ボケ」は天然というか先天的に与えられた属性かもしれないけど、「ツッコミ」は後天的に訓練して身につけねばならない技能というのが社会通念として共有されているのかしら。
閑話休題。)
ミムラ姉さんは、「あらあらうふふ」みたいな定形化した台詞こそ言わないものの、大らかな、かわいらしい人でした。
その他、ムーミン谷の住人さんたちも大勢、冒頭のキャンプファイアーに参加していましたけど、不勉強なので名前まではわかりません。
3. リヴィエラ編
南国といっても、地中海あたりのような、西欧風で暖色系の色彩が鮮やかな街並みの、リゾート風海岸地。
よくわからないまま高級そうなホテルのスィートへ、という流れは、田舎者という言葉だと難ですが、資本主義経済的な文明社会とは馴染みの薄い人たちが初めて都会に踏み入れた時の、常識や概念が異なる文化の衝突みたいな意味では、ある種の類型的な展開を想像してしまうのですが、
ムーミン一家の皆さんは、その想像を遥かに凌駕していきます。
意外な適応力を発揮するパパ・ド・ムーミンさんと、フローレンさん。
パパさんは、サルバドールダリ風な芸術肌の貴族様と意気投合するし、
フローレンさんは、もう、満喫し放題。
フローレンさんのアレは、恋人と海へ遊びに行ったらナンパなDQNさんたちに声を掛けられて連れて行かれちゃった的なえろまんがとかでよく見かける展開そのもので、イヤな予感しかしません。
ムーミンさんが環境に適応できなくて沈んでいく一方なのも、だいたいはフローレンさんが相手をしてくれないという心理的精神的な要因でしょう。
ひどいお話です。
パパさんの、若い頃に培ったやんちゃ経験に裏付けられた、他人の興味を引く話しの巧みさや、
ママさんの、どんな場所であろうとも自分の居場所を構築してしまおうという強固な自我や、
フローレンさんの刹那的な享楽に耽溺する放埒さに対して、
ムーミンさんはあまりにも生真面目で、思い詰めやすい性格なのかもしれません。
うつ的なアレになりやすい傾向そのものに見えます。
そういえば貨幣経済みたいな概念をムーミンさんたちが有していたのは意外でした。
チップ的な習慣はよくわかりません。
予告編の時点でも話題になっていた、水着を着用したフローレンさんに対して「何も着ていないみたい」という発言は、けっこう難解のような気がします。
つまり、「服を着ないのは恥ずかしい」という概念はあるわけで、普段の何も身につけていないように見える姿も、実は何らかの衣服的なものを着用しているにもかかわらず視聴者の目には映っていないだけかもしれないし、水着を着用した時だけその何らかの目に見えない衣服的なものを脱いでいたのかもしれません。
目に見えるものだけが全てではない、みたいな。
そんなわけで、外国へ渡航する際は、病原菌だったり動物だったりといった外来種の流出入には気を付けましょう、というのが最大の教訓なのかもしれません。