シンデレラガールズ 第8話 感想

ばんちゃライブ配信視聴時の自分の実況をまとめるという肥大した自己顕示欲の権化ではありますが、
それだけについーととして公表するのを躊躇ってしまう程度の臆病な自意識過剰でもあります。

熊本弁はよくわかりませんが、ゲーム準拠の部分についてはそこそこ着目できたのではないかと手前味噌を自負する勢い。

別立てて改めて感想を書かなくても大体書けた気がするので、少し補足を追記するくらいのつもりです。


      • 以下、転載---

?2015/03/07 00:30
煩わしい太陽ね!()

?00:31?削除
しまむらさんの夏服!

?00:34?削除
ネコ耳は仕事

?00:35?削除
あ、はい、……、うん。

?00:36?削除
いよいよ来ちゃうか〜

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ソロ?

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ゴシックっ

?00:39?削除
熊本弁翻訳メモ

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闇のま〜

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↑↑、ゴシックって?、の智絵里さんがラフな感じ

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小梅さん輝子さん、ちょうどイベントと絡んでますにゃ

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難波さんと、後ろ姿は上田しゃん?

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禁断のグリモワール

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プロヴァンスの風

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本田リーダーの気遣い

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しぶりんさんの立ちポーズ

?00:51?削除
覚醒魔王!

?00:52?削除
新曲!?

      • 転載ここまで---

そんなわけで、
「煩わしい太陽ね」も、
「闇に飲まれよ」も、
「禁断のグリモワール」も、
プロヴァンスの風」も、
ゲーム内での台詞ですし、ハンバーグはシンデレラガールの時に作ってくれてたし、ぷくーっというふくれっ面や覚醒魔王のポーズもカード準拠っぽいですし、
断片的な要素からよくまあここまできれいなお話にまとめたものだと敬服致します。

ゲームのアニメ化事例として教科書に載せて語り継ぐべきレベルではないかしら。

素晴らしい。


    • -

このアニメーション作品「シンデレラガールズ」において、リアリティとか現実味、現実っぽさ、実在感、本当に存在するかもしれない雰囲気、みたいなものとかをどのように担保するかは難しい課題だったのではないかと想像します。

アイドルというキャラクターありきである上に、少しばかり個性が強すぎて、「そんなやつ(現実には)いねーよ」、となりかねません。

もちろん、アニメでありフィクションなので、ある程度の嘘や誇張もあるでしょうけれども、
その虚実の境界線、ここまでは嘘だけどここからは現実に則している、みたいな境界線をどのあたりに設定するか、という課題があったのではないかと思います。

(補足: このあたりの思考はジブリの教科書「平成狸合戦ぽんぽこ」編の大塚英志さんによる解題の影響を受けているつもりです。つもり、です。)



神崎蘭子さんみたいなキャラクターは、ぱっと見た感じでは「嘘っぽい」印象を持ちやすいのではないかと思います。

最近では「邪気眼」とか「中二病」みたいな呼称で一部界隈には認知されていますし、
現実の街中でもいわゆるゴスロリ的な服装で練り歩く方々がいらっしゃるのを目にしたことはありますけれども、
そういうキャラクターを登場させることは「現実っぽさを強調」する方向よりも「嘘っぽさが強くなる」方向に感じます。

ゴスロリとかゴシックとかロリータとかゴシックホラーとかの差異については詳しく知りませんのでご容赦ください。)

実際にはごっこ遊びをこじらせた程度であれば、ぼく自身も含めて、小中学校くらいには一定の割合で存在するかもしれませんし、高校でも大学でも社会に出ても続ける方々もいらっしゃるかもしれません。

が、「そういう人が実際に存在すること」が現実であっても、「そういうキャラクターを登場させること」が現実っぽさを描くことに結びつくかというと、「ただ登場する」だけではだめで、「そのキャラクターがそのキャラクターとしてその作品世界内に存在している」ことを描かねばならなくなるのだろうと思うわけです。

で、今回の神崎蘭子さん。

まさしく、作品世界の中で、生き生きと存在していたように見えました。

作り物の、安易な記号の集積みたいな造形にもかかわらず、
確としたひとりのアイドルとして存在していたように、ぼくには見えました。

この存在感には、周囲の反応も大きく作用している気がします。

本田未央リーダーやアーニャさんの気遣い、赤城みりあさんの理解と、その他メンバーの「わかっていなかったけどなんとなくわかっているかのように演じる」優しさ。

どなたかが仰っていた、神崎蘭子さんがありのままでいることを、周囲がありのままに受容されている、優しい世界として描かれています。

神崎蘭子さんは自分が好きなものを体現しようとしているだけだし、他のメンバーやプロデューサーさんもそれを否定したり矯正しようとせずに、そのまんまで居続けることを肯定 し、受容し、理解しようという努めます。

理解しようと歩み寄る姿勢は、7話までの積み重ねがあればこそ。

シンデレラプロジェクトの物語、関係性の連なりを感じます。



ところで、神崎蘭子さんの勧誘もしくは採用にあたっては、このプロデューサーさんとは違う人が担当していたのではないかという気もします。

プロデューサーさんは自分なりにメモをとったりして距離を縮めようとしていますけれども、勧誘もしくは採用をプロデューサーさん自身が担当していたのであれば、もう少し理解があってもよさそうというか、ある程度の勝算というかビジョンを持っていてもよさそうなのに、それがいまひとつ感じられないような気がしたもので。

このプロデューサーさんはわりと人を枠にはめて見てしまう傾向があるようで、神崎蘭子さんに対しても、特別な何かをティンと感じたにせよ、「こういうのが好きなんでしょう?」、と当て推量でCDデビューへ向けた発注を進めてしまったように見えます。

秘密裏に物事を進めるのは企業人として仕方ないのかもしれませんけれども、既に詩も曲も出来上がった後でアイドルから拒否されてしまっては、やり直すコスト、費用も労力もたいへんでしょうに。

(アイドル側に拒否権があるあたり、アイドルの気持ちを尊重しようとする姿勢なのかもしれませんけれども。もっと押し付けであったとしても不思議ではなさそう。)

アイドルへ歩み寄ろうとする姿勢は身につけても、はやい段階での意思疎通、確認、共有するところまでは至っていないのかもしれません。

これまで、346プロダクションは大手なのだから、アイドル事業への参入は新参とはいえ、若手を育てるノウハウみたいなものはそれなりに蓄積されているのではないかと期待していたのですが、
(だからこそ、プロジェクトとしての展望や目算や大まかなステップを開示してほしいと主張してきたのですが)、
どうやら、本当に手探りでアイドルとの距離感を測っているようで、人と人との関係性は大企業であろうとも変わらないのかもしれないと思うと、好感度も高まる気がします。


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