毛皮のヴィーナス 感想

映画「毛皮のヴィーナス」を観ました。

2回目なので、1回目では気づけなかったあれやこれやがまた楽しいです。

冒頭で既に終盤の展開が示唆されていたりとか、
「予測不能」とか。

たぶん翻訳ではわからないような原語ならではの表現とかもあったのだろうと思うと悔しくもありますけれども、言葉の壁ばかりはしかたありません。

「言うならば」と「…みたいな」との違いとか、1870年代風の言い回しとか、わからないです。

それでも楽しいのですから、勢いってすごい。

登場人物2人だけなのに、というか、だからこそというべきか、
2人の支配/被支配の主導権をめぐる駆け引きの緊張感がたまりません。

女優と脚本家兼演出家という立場と、劇中劇であるワンダさんとセヴェリンさんとの境界が「曖昧」で、会話がいつの間にか演技になっていたり、演技していたら唐突にダメ出しが入ったり。

劇中劇と地の部分とで時折、重なり合ったりするのもまた、楽しいです。

どこまでがお芝居で、どこからが本音なのやら。

不思議な感覚がぐるんぐるんします。


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以下、ネタバレを含みます。














今ではSMのM(マゾヒスト、被虐嗜好側)として名前が残ってしまっているマゾッホさんが原案なだけあって、基本的には女性側が支配側、男性側が服従側という構造なのですが、
どうやら、終盤では立場が逆転する模様です。

高潔で気位の高い女性が、何かのはずみで泣き崩れる姿というのは、日本のアニメーションその他でもしばしば見受けられることがあって、
個人的には、強く在る姿に惚れ込んだ女性が実は弱い面を覆い隠していただけでした、みたいなのはすごく残念に思ってしまうことが多いのですが、(トミノ監督の作品などで見かけることが多いような気がします)、

本作では、とあるトリックを仕掛けることによって、その立場の逆転をうまいこと回避しているように見えます。

あの終盤、いつの間にやら立場が入れ替わっていて倒錯した感覚に酔ってしまうのですが、
あそこはやはりああいう形であってこそ、被虐嗜好が全うされたのだろうと思います。

あの巧妙さには感服するほかありません。

そこへ来ての、暗黒太極拳は、ほんとどうしてそうなった。

困惑の果てに恍惚へと導かれていきます。

ああ、素晴らしい。





それにしても、「セヴェリン」という名前が「しぶりん」に聞こえてしまうシンデレラガールズ脳には困ったものでもあります。(困ってない)


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ジョイランドシネマ沼津さん、2月いっぱいで閉館とのこと、非常に惜しくて、残念です。

さほど頻繁に通ったわけでもないので申し訳ないのですが、おかげさまで、上映館数の少ないような貴重な作品をいくつか観ることができました。

ありがとうございました。