福福荘の福ちゃん

映画「福福荘の福ちゃん」を観ました。

フクダさんのお話。

ぼくのハンドル名からもお察しの通り、名前の面でも、体格の面でも、顔面の構造に関しても、親近感を抱かずにはいられない主人公のようでしたので、
少なからず他人ごとじゃなかろうと身につまされる感じを想像していたのですが。

他人は他人でした。

ぼくはあそこまで闇は深くないし、隣人とコミュニケーションなんてとれないし、面倒見のいい同僚もいませんし。

ダメ具合ではむしろ、隣人のヘビでヒゲの人のほうが近しいかもしれません。

メガネの人ほど極端ではない、と自分では思ってます。



同僚の人(荒川良々さん)は、ちょっぴり気に障るところがないわけでもないですが、
面倒見はいいし、先導力はあるし、気が利くし、すごく対人能力が高く見えます。
嫁さんも美人さんだし。

ピクニックの場面で、男だけでわいわいはしゃいでいるグループと、呆れて傍観している女性陣を気遣うことができる配慮との差は、
これはもうモテるモテない以前の問題ですよね。

女子の人とお近づきになりたくないというわけではないものの、どう接していいかわからないし、どのくらいの距離感をとればいいのか探り探りになってしまったり。

主人公フクダさんの場合は過去の深い闇もあって、ちょっとこじらせてる感じ。

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」の比企谷八幡さんも似たような闇を抱えてましたが、あちらは周囲の助力もあって高校の間には矯正されそうですが、
フクダさんはそういった矯正もなされないまま、かといってボッチを気取って他者を疎外するわけでもなく、むしろ話を聞いてくれる、相談に乗ってくれる、みたいな駆け込み寺みたいな包容力まで発揮してたりして。

対女性でなければ、それなりに人徳がありそうです。

大柄の男性を好む女性が、大らかさや屈託のない明るさ、牽引力みたいなものを期待している、という場面がありましたが、
そんなの、「おじさんとマシュマロ」のヒゲさんくらいじゃないかしら。

フクダさんはわりと繊細で気配りさんで正義感が強い感じ。

ぼくはといえば、神経質で執着質で、めんどくさがりであきらめがちで。
いいところ無いです。



お話のもうひとつの軸に、水川あさみさん周りのお話があります。

フクダさんとはかなり深い因縁がありましたので、もっと色々わだかまりがあってもよさそうなものですが、
とくに「カメラで撮られる」ことに対してはもっと拒絶反応とかありそうなものですが、
なんかうまいこと丸め込まれたというか。

女性が言う「いい笑顔」とやらは、ほんと謎ワードです。

こちらは何にも考えずに馬鹿笑いしてるだけでも、なんか「いい笑顔」扱いされることがあったり。

あれは「カワイイ」とかと同列の社交辞令なのではないかと疑っているのですが、その真意を解読するのは非常に困難です。

いい笑顔ですね。(バカみたいに笑ってんじゃねーぞしばくぞ)
とか、
いい笑顔ですね。(それしか取り得がねーけどな)
とか
いい笑顔ですね。(笑ってなかったらゴミ)
とか
いい笑顔ですね。(普段は仏頂面のくせに酒が入ると変わるじゃねーか)
とか、
言葉の裏に言外の圧力があるような気がして、恐ろしい。

あと、精神的に参っているときは本当に表情が乏しくなるので、周囲の方々には警告サインだと察していただきたい。



少し前に、やんちゃしてた人が更正すると賞賛されるみたいな話題がありましたが、
実際、やんちゃした側にも罪悪感が残る人が居て、そういう人が反省して贖罪するということなのでしょうけれども。

やんちゃされた側は、どうにもならないです。

やんちゃした側が美人さんだったらそれだけで許してしまうちょろさも含めて、なんともいたたまれません。

まあ、ぼくの場合はそこまでやんちゃされた記憶は無いのですが。

中学の頃はまだやんちゃさんが元気だった時代で、男子はボンタンに短ラン、女子の人もロングスカートに、髪染めもまだ珍しかったはず。

そんなお兄さんお姉さんも、意外と部外者には優しかったりして、最近のラノベで読むようなギスギスしたスクールカーストとは少し別種の、異文化交流っぽい雰囲気だった気がします。

あ、高校はカーストっぽかったかも。

そんなわけで、心的外傷の要因となりそうな決定的な事件があったわけでもなく、どうしてこうなったのか自己分析できていない身からすると、
あそこまではっきりと原因がわかっていて、それと真っ正面が向き合って克服していくというお話は、まるで絵空事のようです。

正直、うらやましい。

結局のところ、フクダさんは自分から何か行動したわけでもないような気がしますけれども、自然体で、ありのままで受け容れてもらえるというのは、心底、うらやましい限りです。

そんな夢想ばかりしていても、現実は何も変わらないのでしょうけれども。







プロ写真家の先生は、見る目は確かだったということなのかしら。
芸術家の道は厳しい。

コンコルゲンなカレー屋さんも、観ている間は大笑いして拝見してましたが、振り返るとよくわからなかったり。
こだわりの道も険しい。

ただ、そんなに辛いならルーをかけずにライスの部分だけ食べるんじゃダメだったのかしら、とは思ったり。



なんだかんだで、無理して変わろうとしなくても、今のままでもいいかな〜と甘えさせてくれるようなお話として受け止めることにします。