花宵道中6【大門切手編】

斉木久美子(原作:宮木あや子)「花宵道中」6巻【大門切手編】、小学館

原作(文庫版)既読。

たしか、5巻の時には、この大門切手編が描かれないまま完結と謳われていた気がして、マンガ化されないのかと嘆いた記憶がありますが、
満を持しての、まさしく完結編。

花宵道中」というお話自体が、個別の遊女さんの生き様を描いた複眼的な作品なのですが、
この【大門切手編】では、その遊女さんたちが所属した「山田屋」の女将さんの視点から描かれることで、背骨がすっと通るような感じがします。

これまでのお話を総括するエピローグでもあり、また、エピソード・ゼロ的な前日譚でもあります。

一冊丸々使っての、ひとつの時代の移ろいみたいなもの、とはいっても、あくまでも廓の中の限られた世界でしかなくて、外界の政治やら何やらの動乱とは切り離されたごく一部分でしかありませんけれども、ある種の永遠でもここに在るのかと思わせる夢のような世界。

そこは男に夢を見させる場にすぎないけれども、同時に、女性たちもまた夢にすがるしかないようでもあります。



今、並行して「テヅカ・イズ・デッド」を読んでいて、「マンガ的」な表現とはどういうものか、「映画的」や「小説的」といった形容詞とはどう区別されるべきか、みたいなメディアの違いを理解するお話と思って読んでいるのですが、
そんなわけで、小説原作のマンガ化とはどういうことか、みたいなことにも思いを巡らせるわけですが、
本作は、とても「マンガ的」で、原作小説を上手にマンガに翻訳できている好例なのではないかしら、と思うのですが、
そもそもぼく個人が思う「マンガ的」と、評論の世界で言われる「マンガ的」がどうやら違っているような気もするので、そのあたりはもう少し勉強を積まねばなりません。



とはいえ、小難しいことはいいのです。

ひとりの幼女さんが、売り飛ばされて、廓で成長して、廓の中で年老いていく。

そんな、凄絶とすら言えそうな生き様が、美しいなあと思うのでした。