時をかける少女

Gyao!さんで9月24日まで無料で配信されている、細田守監督「時をかける少女」を観まして。

TVでの放送で、後半部分は何度か観ていたのですが、最初から観たのは初めてでして。

最後のほうなんかは、いかにも時間跳躍ものみたいな感じで、わりとすっきり爽やかな締めくくりになっているんで、安心して観始めたわけですが。

なんというか、前半部分は、なんだかお腹が痛くなるようなお話ですね。

ほんの少しの違いで展開が変わってしまうのは、いわゆるループものの作品だとか、シナリオ分岐型のゲームなどでもよくみられるお話ではありますけども。

主人公の無自覚な無邪気さと、それによって引き起こされる些細ながらも過剰な残酷さが、なんだか、苦しくなります。

何より嫌なのが、あそこで級友の男子が苦しんでいるにも関わらず、あるいは、後輩の女子がケガをしたにも関わらず、主人公さんは、彼ら彼女らのためには時間をやり直さないんですよね。

自分個人と友人男子2人のためだけには、ちょっとしたことでもやり直して、なんでもやり放題みたいな大きなことを言っていたわりに、
それ以外の人のためには能力を使おうとしない視野の狭さに、ついつい苛立ってしまいました。

あるいは、「紫色のクオリア」のように、唯一絶対の目的のためならば手段を選ばない、くらいの決意があるのであれば、それはそれで納得もできますが、
この「時かけ」では、単にうまいこと思い通りにやっていこう、くらいのわりと気軽なノリなのに、
目の前にいて、自分の手の届く距離で苦しんでいる人に何もしない無神経さに、もうちょっとなんとかならなかったものかと思ってしまうのです。



世の中には「耳をすませば」や「サマーウォーズ」を観て死にたくなるような人もいらっしゃるようですが、
ぼくからすれば、作中の主人公たちというのは、まさにヒーロー/ヒロインなわけです。

勇者とは勇気ある者。

勇気がある以上、彼ら彼女らは、やはり物語の主人公としてふさわしいと思いますし、そこで紡がれる物語に感動することもできるわけです。

彼ら彼女らと比較して自分を卑下する必要は感じません。

ただ、彼ら彼女らに憧れ、その紡ぎ出す物語に浸って、幸せ成分を充足させてもらうために、ぼくは物語を消費しているのだと思っています。

…そういう視点で見ると、この「時かけ」のヒロインさんは、果たして何をすることができたのかしら?とか思ってしまって、なんだか不満ばかりが残ってしまいそうなので、このあたりまでにしておきます。



あ、不満ついでに、
Gyao!さんは現在、全画面表示に対応していないのが残念ですね。
いずれは対応してくださるみたいですが。



そうそう、ぎゃおさんでは、「リング・オブ・ガンダム」も視聴できるのですが、なんですかね、これ?
フルCGでぬるぬる動いてます。
アムロの遺産がキーワードなのかしら?



あとは、やっぱり「イヴの時間」はおすすめです。
ロボットもの、というにはロボットロボットしていなくて、(一部、ろぼろぼなロボットさんも出てきますけども)、ロボットに対して親しく接する「ドリ系」が問題になっていたりして、
人間/非人間の境界あたりの、認識論とか人間とはなんぞや?みたいなあたりのお話になっていくのかしら?
来週あたりには最新第6話も配信予定みたいですね。