映画HUGっと!プリキュアふたりはプリキュア オールスターズメモリーズ 感想

映画「映画HUGっと!プリキュアふたりはプリキュア オールスターズメモリーズ」を観ました。
2018年10月28日、シネマサンシャイン沼津にて。

・体が縮むだけではなく記憶も退行して幼児化してしまうことで、育児をコンセプトにしてきたHUGプリの作風とも整合がとれている、のかしら
・「すっかり慣れたねー」からの急なアクシデントにてんやわんやで、いくら慣れたといってもやっぱり育児は大変なのだと再確認できるというか

・ともあれ、ちびキュアさんたちみんなかわいい

・第四の壁をぶったたくはぐたんさん

プリキュアさん大集合の壮観感
・各シリーズの主題歌をアレンジしたような劇伴を背にしての大立ち回りはほんとゾクゾクしました
・こないだのテレビ放送回では絵の口がパクパクしてるのに声が聞こえないみたいな現象もあった気がしましたが、さすがに映画ではそんなことはなく
・5あたりはセリフがなかった人もいそうでしたけど、思ってた以上に大半のプリキュアさんにセリフがあったのではないかしらどうかしら
(エンディングクレジットは映像のほうを見てしまっててキャストの確認ができなかった)





・フィクション漬けな生活を送っている独身男性にとってはものすごく残酷で痛烈な指摘であると同時に、この上ない救済にもなっていて、逆説的にフィクションへの依存を強める効果もありそう

・フィクションを通していろいろな経験をしたつもりになっていても、それを見ているだけの人間の経験ではない
・(正確には作中で誰もそんなことは言っていなくて、あくまでも「他人の記憶を勝手に奪うな」という話なのですが、比喩的に上記のような意味合いで受け取ることもできてしまう気がしたもので)

・一方で、視聴者がこれまで培ってきた記憶によって作中のキャラクターが救われる構造だったり、これからも一緒に記憶を作っていこうと呼び掛けることで、フィクションに依存しきっていることが役に立つ場合もあるのかもしれないと錯覚を生む危険性がありそうな
・(もっと拡大解釈すると、フィクションはその受け取り手である視聴者や読者がいるからこそ存在し続けることができるわけで、原理的に視聴者を手放すわけにもいかず、共依存の関係に落ち着いてしまうのかも)

・フィクションとはいえ、それを見たり読んだりしたという経験はやっぱり自分のものということでいいのかしら
・問題はその経験を誰かと共有できているのか、という部分でもあるのかもですけれども