葛城事件 感想

映画「葛城事件」を観ました。
6月25日、109シネマズ川崎にて。

元になった事件があるようですが、よく知りません。
事件発生当初はセンセーショナルに報道されていてイヤでも目に入ってしまったりすることもありますが、時間が経てばすっかり忘れてしまいます。

死刑判決を言い渡された次男と、その父親と、死刑制度に反対するために次男と婚姻関係になった女性のお話、でしょうか。

時系列はやや複雑で、死刑判決が下った後の葛城父の生活と、収監された葛城次男に面会する田中麗奈さんとの現在時制がひとつ。

いまひとつが、次男が犯行に及ぶまでの、葛城家が徐々に壊れていく様子を追いかける過去回想時制。

現在と過去とを交互に行き来しながら、少しずつ、何が起きたのか、どうしてそうなってしまったのか、浮かび上がってくる構成です。

葛城家は、少なくとも表面上は、「ごく普通のありふれた家庭」として表現できる範疇ではあったように思います。

金物屋を経営するすこしばかり高圧的な父親と、
専業主婦で気が弱くて父親の言いなりみたいな母親。
優秀な営業マンの長男と、
大学受験で失敗したか何かでたまにアルバイトをしようとしても長続きしなくてほとんどひきこもり状態の次男。

次男がひきこもり気味というのも含めて、現在よりももう少し昔であれば、比較的「ありふれた」と表現しても差し支えなさそうな家族です。

一方で、田中麗奈さんの役柄がなんとも奇妙で得体の知れない感じでした。
口では死刑制度に反対するためだの死刑は人間に対する絶望だなどと言っていましたが、まるでさっぱり、何がしたかったのかわかりませんでした。

ただただ、ボロアパートで組んず解れつしていたという元カレがうらやましい限りでした。
あの夏の暑さに浮かされたような、おそらく衝動的な激白もまた、彼女の抱えている闇の一端なのかもしれません。

葛城父に付き従いながらも少し距離を置いて佇んでいる様子は、なんとなく、死にゆく人を見守る死神のようで、わかりにくいたとえかたをするなら補完計画が発動したときの綾波のようにも見えました。

某いらすとやさんで「親を怒鳴る無職のイラスト」がありましたが、葛城次男は、少なくとも母親に対してはそこまで暴言を吐いたり手を挙げたりすることはなかったようにおもいます。
あのイラストで怒鳴り散らす男性に該当するのはむしろ葛城父になるでしょう。
子どものしつけについて自分では息子に直接面と向かって話しかけることはなく、母親のせいにしてしまう。
見方によっては臆病な人と評することもできるでしょうか。


葛城家においては父親こそが絶対的な権力者であって、母親も長男も次男もその支配下におかれているという意味では連合関係にあったように見えます。
それでも長男は父親の期待に応えるべく優等生に扮していたため、大学受験に失敗してしまった次男にとっては、長男と次男との間にも深い溝があるように見えてしまいます。

長男はやがて結婚して実家から出て行きましたので、葛城家に残ったのは父親vs母親次男連合。

そういえば近所で火事みたいなことになってた気がしましたが短い時間でよくわかりませんでした。

長男は長男でうわぁと目を逸らしたくなるような状況に追い込まれていきます。

なんというか、何か1つの大きく致命的な転機があったというよりも、いろいろと細々した雑多なあれやこれやといった鬱憤が、ひとつひとつはごくありふれた、まあそういうこともありそうよね、という程度のものでありながら、そういった小さなものが積もりに積もって、最終的に決壊してしまったように見えました。

あの状況では内側から助けを求める声を上げることはできないでしょうし、外部からあんな荒んだ内情を察することも難しそうに思えます。

劇中のセリフで言えば野生のイノシシのような、時事的な話題としては野生のクマのような、凶暴な動物と遭遇してしまった運の悪い事故、と片づけるにはどうにも釈然としないモヤモヤが残りますが、かといって加害者に同情するわけにもいかず、まったく関係ない人を巻き込むのは許せないし、かといってじゃあ父親を直接殺傷すればよかったのかというとまた違うでしょうし、
将棋で、初心者はわけもわからないまま詰みに追い込まれていくものの、どこの時点で悪手を打ってしまったのかなんて気づくことはできないように、
どこかしらの時点でボタンの掛け違えに気づけたとしても、正そうと思ったらふりだしにまで巻き戻してやり直すくらいしないと、途中の気づいた時点から無理やり軌道修正しようとしてもなかなか難しいものなのかもしれません。

子育てってたいへんそうだなあと思いました。