クリーピー 偽りの隣人 感想

映画「クリーピー 偽りの隣人」を観ました。
6月19日、横浜ブルク13にて。
原作未読。

元警察官で現在は犯罪心理学を大学で教えている西島秀俊さんと、その新居の隣人である香川照之さんとのお話。

未解決だった一家行方不明事件も関連してきて、平和だったはずの日常が崩壊していきます。

こういう犯罪を題材にした作品の常ではありますが、正常と異常との境目なんて無いのかもしれないと思わされます。

何よりも、あっぱっぱーになった竹内結子さんの醸し出すえろさが、なんともたまりません。
直接的な描写はありませんでしたけれども、香川照之さんにあんなことやらそんなことやらされてしまったのではないかと、不謹慎ながらも妄想が膨らんでしまいます。

観客の視点で見れば香川照之さんがうさんくさいのは一目瞭然ではあるのですが、情報の出し方が少しずつ少しずつと小出しで巧妙な上に、娘さんが意外に仲良さそうに懐いているようにも見えるので、怪しく見えてはいるけれども実は違ったりするパターンかな?、という疑念もなかなか払拭できずに終盤までズルズルと引きつけられていきます。

このあたりは、香川照之さんの「嘘を吐こうとして嘘を吐いているわけではなくて自然にありのままに呼吸をするかのごとくあのような言動をとっている」感じがものすごく絶妙です。



一方で、西島秀俊さんもまた、善良な夫の面もありながら、特殊な犯罪者の心理に対する興味が強すぎて、参考人から情報を聞き出すだけだったはずが強く詰問する形になってしまったり、調べものに夢中になって妻の変調に気づかなかったりと、あくまでも日常の側に基点を置きながらも常軌を逸した世界に足を踏み出そうとしているというか、もはやその境界を乗り越えてすらいるかのようにも見えます。
危ういです。

作中でも「サイコパス」という言葉が使われているとおり、ざっくり言えば香川照之さんの役柄こそがサイコパスだということなのでしょうけれども、西島秀俊さんの役柄もまた、見ようによってはサイコパスと近似の存在に見えてしまうと思います。

以下、ネタバレ

本作の犯人は非常に狡猾で、基本的には自分の手は汚さないようにしようという意識は持っているようです。
共犯者を言いくるめたり手練手管で共犯者に犯行をさせるように仕向けようとしていますし、
様々な諸事情によって、共犯者もまた犯人の命令に従わざるをえないような心境に陥っています。
おそらく(犯人も共犯者も)もはや自分のやっていることが正常なのか異常なのか、と疑うことすらなくなっているのではないかしら。
犯罪をおかしたいという欲求に突き動かされるのではなくて、ごく自然に、生活の一部として、そうすることがあたりまえであるかのように為す。
どことなく「ヒメノア〜ル」の森田剛さんと近いようにも見えます。

「弱肉強食」という言葉を使ってしまうと力の強弱による上下関係、支配・被支配関係みたいなヒエラルキーがあるかのように思えてしまいますが、もう少しフラットというか、単純な腕力でも資本主義的な経済力でもなくて、社会システムという枠組みの外側にはみ出してしまったが故の強かさのようなものを感じます。
魔術師同士の真っ向勝負に銃を持ち込むような、本来守るべきルールや制約といった束縛から解き放たれた自由さは、その柵の内側に閉じこめられた善良な小市民にとっては理解など到底及ばない恐怖の存在でしかないのかもしれません。