仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション 感想

仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション」を観ました。

2019年12月30日、シネマサンシャイン沼津にて。

テレビシリーズは残念ながらほとんど追えてないです。

 

とてもわかりやすい形での「父親殺し」のお話、だったのかもしれません。

山本耕史さんの衣装とか初代の人がモチーフっぽいですよね。

それだけ仮面ライダーの名前が重荷になってたりするのかしら

 

一時期は「VS」を題名につけてたわりに結局協力してめでたしめでたしになりがちだった印象がありましたけど、今回のはしっかりとVSしてて驚きました。熱い。

 

 

 

ヒューマンギアに支配された世界でヒューマンギアのための学校なのに黒板に手書きで板書してたっぽいのはどうなんだろうとか思ってしまいましたが、革命からまだ10年くらいではインフラとか設備なんかは人間が支配していた頃のものをそのまま流用せざるをえなかったりしたのかしら、と考え直しました。

残党による反乱も頻発していたようですし、人間対策が優先で予算の配分なんかも教育関係は後回しだったりしたのかしら。

 

テレビシリーズをあまり追えてないものでヒューマンギアの設定がいまいちわかってないのですが、ヒューマンギアたちはネットワーク的なものに常時接続しているわけではなくて、基本的には個体ごとに自律/自立していて、衛星回線経由か何かでしか強制的に命令制御することはできない感じなのかしら。

このあたりはむしろHUMANLOST人間失格の世界の人間たちのほうがネットワークの支配下って感じだったかも。(常にネットワークで見張られていて異常があると即座にコントロールセンターみたいなとこで捕捉されたりしてたので)

そういえばヒューマンギアたちはコミュニケーションもネットワークを介さずにわざわざ人間と同じ音声インターフェースで情報伝達してたり、ずいぶんまどろっこしいことしてましたけど、ああいうのもヒューマンギアたちが人間の与り知らないところで勝手にコミュニケーションとれるようにすると徒党を組んで反乱するかもしれないから分断して人間の制御下に抑え込んでおくためだったりしたのかしら。

 

 

「人間の息子がヒューマンギアの父親を笑顔にしたい」

という命題に対してAIが導きだした解が人間の抹殺だというのは、ちょいとばかり問題の設定を間違えちゃったか何かなのかしら。「一緒に笑顔になりたい」にしておけばよかったのかしら。

猿の手みたいにトンチがきいてればもうちっとよかった気がしますが、1回見ただけだとずいぶんぽんこつなAIだなあくらいの印象かもしれません。

 

 

 

 

 

カツベン! 感想

「カツベン!」を観ました。

2019年12月30日、シネマサンシャイン沼津にて。

 

活動弁士のお話。

映画がサイレントからトーキーへ移行していく時代を描いていた「アーティスト」という映画がありましたが、あそこまでの時間的な幅はなくて、活動弁士さんのお仕事自体が揺るがされているというほどではなく、一部の敏感な人たちだけがなんとなく悟っている程度、みたいな。

 

少し前にNHKで落語・ザ・ムービーとかいう、落語の演目に合わせて役者さんが映像化するみたいな番組がありましたけど、ああいうのも可能であるならば、活動弁士さんと落語家さんのお仕事って案外近いのかしらとか思ったり。

本作では自作のお話に合わせて映像を組み立てるようなことまでやっていて、あそこまでいくと写真が主で弁士が従みたいな主従関係ではなくなるけど活動弁士の領分でもなさそうとか思ってしまったり。

 

 

「コメディ」という触れ込みだったように思いますが、いまひとつコミカルさを楽しみきれていない自分がいたような気がします。

いわゆる「シリアスな笑い」みたいなものなのかもしれませんが、状況がシリアスなだけにおかしみよりかは必死さが上回っていたように感じてしまったのかも。

 

自転車でおいかけっこのあたりは元ネタがありそうな気がしましたけどどうなんでしょうね。

作中で使われていた映像は過去の実在の作品だけではなくこれのために新たにああいう映像で撮影したものっぽいのかしら。

 

 

 

フラグタイム 感想

「フラグタイム」を観ました。

2019年12月15日、シネマサンシャイン沼津にて。

原作未読。

 

いわゆる百合作品なのでしょうけれども、一部、ホラーみたいな怖さを感じました。

万能の願望器みたいな

俺ガイルの葉山くんみたいな

 

あれが破滅願望へ向かうのはなんか説得力みたいなものがある感じ。

時間停止と露出の組み合わせはえっちだ。

 

たぶん、昨今のきゃっきゃうふふとしたライトな雰囲気のものもいいですが、こういう深いところでの結びつきも、たまにはいいものなのかもしれません。

と思ったけど、幸福路のチーさんとベティさんの関係も、そういう意味ではそうともいえるのかも

 

あと、あまり本筋には関係ないのですけど、森谷さんと村上さんって子音の並びがなんだか似ているような気がして(MRTNさんとMRKMさん)音で聴くとどっちがどっちか判別しにくかった気がします。文字で読むぶんには問題ないのでしょうけれども。

もしかしたら似ていることも作品のテーマと結びついていたりしたのかしら

 

小林さんの存在がある面では救いのようになっていたものの、他方では関係がこじれる要因にもなってたりして、複雑そうな問題じゃよね

 

 

 

そういえば最初のあの行動の動機って説明されてたのかしら。ぼくが見落としてたのかな

 

 

 

 

HUMAN LOST 人間失格 感想

「HUMAN LOST 人間失格」を観ました。

2019年12月14日、TOHOシネマズ川崎にて。

 

原案だという太宰治人間失格についてはよく知らないので触れないでおきます。(実写映画見ておけばよかったのですけど都合が合わなくて行けなかった)

 

本作ではSF的な要素として、ナノマシン的なやつで人間の体を改変してSHELLとかいうネットワーク的なやつで管理することで健康長寿を実現していて、120歳まで生きて2回目の還暦を迎えることでようやく人間として合格を認められる合格式みたいなやつが開かれるらしいのですけど、

なんかこう、健康とか長寿とかがテーマのわりに登場するキャラクターが健康そうな若いお兄さんお姉さんばかりなのが、なんだかなあとか思ってしまいました。

千葉繁さんの人があんなナリで合格式に出てたので、ナノマシン的なやつで健康管理されてるせいで実年齢と見た目年齢とのギャップが大きくなっているのもあるのかもしれませんけど。

「幸福路のチー」で、多様なおじちゃんおばちゃんが魅力的に描かれていたのを見た衝撃がぼくの中に強く残っていた影響もあるのかしら。

3DCGアニメの課題なんていうと大袈裟ですし、既にいろんな体形のキャラクターに取り組んでいる作品もあるのでしょうけれども、この作品のテーマとして「健康」とか「長寿」とかが扱われていたわりに、そのあたりの描写が薄かったように感じてしまいました、という個人的な感想でした。

 

 

あと、まったくの余談ですけど、見ている最中になぜかなんとなく「あした世界が終わるとしても」を思い出していた気がします。不思議。

 

 

幸福路のチー 感想

「幸福路のチー」を観ました。

2019年12月14日、シネマカリテにて。

台湾のお話。

 

過去に見たことある作品で無理やりたとえると「おもひでぽろぽろ」かなあとか思いながら見てしまっていた部分もありましたが、並べることに大して意味はなくて、単独でユニークな作品として見るべきだと意識を改めようと思いました。

とてもよかったです

 

あと、ベティさんとの関係は百合と評してもいいのではないかしら

冴えない彼女の育てかた Fine 感想

冴えない彼女の育てかた Fine」を観ました。
2019年11月9日、川崎チネチッタにて。
原作未読。

 

焼き肉たべたい
バルスってMZMさんのとこでしたっけ。冒頭のライブのとこかしら(他に3D使ってそうなとこわかんなかった)

加藤さんとえりりさんがお風呂入ってる場面で燃焼ランプが二つ点灯してたのが気になりましたけど別のとこでお湯出してたのかしら。とか野暮なことを考えてしまったけど、二人の心が燃えているメタファーだったのかも

 

 

こういう「フラグが立つ」とか「ルートに入る」とかの概念をすんなり使うことができるのはゲーム作りが題材だからということもあるのかしら。

ゲーム以外の媒体だと、どのルートを選択するかはあくまでも作者に委ねられてしまうけど、ゲームにおいては、プレイヤーにその選択権が与えられていて、この作品における「プレイヤー」は主人公一人だけではなく登場人物それぞれが各々のゲームをプレイしていて。選択肢と、おそらくはどちらを選んだらどういうルートに進むのかがなんとなく予想できていて。

「選ばなかったルート」のせつなさというか、「でもそうはならなかった、ならなかったんだよ」的なやつ。

 

冴えカノ、原作は未読で、テレビでやってたアニメははじめのほうは見てたけど途中で脱落しまして。
なんか主人公を好きになれない、というのがその理由の大きい部分で、それは今回の映画でもやっぱり同じでした。
周りの人たちが彼の力を認めているのに妙に卑屈な態度が気にくわないのだと思います。
端的に言えば、うらやましいのだと思います。
ぼくには彼のような情熱も行動力もありませんし、彼はいい意味で空気を読まずに我を通せる頑固さとかこだわりみたいなものをもっているし、「キモい」ということになっているけど、他人を惹き付けるだけの魅力のあるキモさだし。クリエイティブな適性が高いのだろうと思います。
人によっては彼のことを魅力的に見えるであろうことはわかるのですが、それだけに妬ましさも強くあります。

その上で、先輩や幼なじみを「高嶺の花」に据えてしまって手が届かないとあきらめて、手の届く加藤さんを選んだわけで(あるいは作者によって「選ばされた」)

物語の構造が多層的でややこしくてぼくの頭では整理できていないのですが、この物語で描かれているようなギャルゲー的世界観に立つならば、再帰的にというのか自己言及的にというのか、先輩や幼なじみのルートを選ぶこともできたはずで。

となると、物語の主人公である彼自身の意志とは別に、彼をそのような考え方をするように仕向けた作者の存在を意識せざるを得なくなるというか。

このあたり、物語内部の登場人物たちの言動と物語外部にある作者やらなんやらの意志や思惑とを切り分けて考えるべきなのでしょうけれども、そういう切り分けがぼくは下手なのかもしれません。

 

いや、この物語自体が入れ子構造的に物語内部のキャラクターと物語外部であるはずの作者側の事情とをごちゃ混ぜにしているのだから受け手がごちゃ混ぜに見てしまうのもしゃーなしか。

 

 

 

映画 すみっコぐらし 感想

「映画 すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ」を観ました。

2019年11月9日、Tジョイプリンス品川にて。

 

恥ずかしながらすみっコぐらしという作品をあまり存じあげてなくて、少し前のデレパにシンデレラガールズ劇場の監督さんであるまんきゅう監督がゲスト出演した際にしきりにすみっコぐらしの告知をしてたのでせっかくだからくらいの気持ちで見に行ったわけですが、休日の昼間とはいえ満席完売ということに驚きました。

デレパのときもすごい人気らしいみたいな話だったとはいえぼくの観測範囲ではあまり見かけた記憶がなかったので、これほどとは思っていませんでした。

 

中身としても、登場キャラクター紹介から始まったのでぼくみたいにまったく予備知識がない観客でもすんなりわかるようになっていましたし、ゆるふわな絵柄でありながらもさまざまな「すみっこ」事情をかかえたすみっコさんたちの造形がとてもいいなあなんてどこか大人目線で見てしまっていたのですが、客席から素直な笑い声があがっていて、ターゲットのお客様たちの心をしっかりつかんでいるんだなあとも思いました。

 

とびだす絵本の仕掛けのおもしろさや、桃太郎だのマッチ売りの少女だのといったいろんな童話の世界に入り込む楽しさやら、いろんなワンダーが詰め込まれていたように思います。

あと、絵本のナレーションのお姉さんがナレーションで進行をごり押すとこすき。「おばあさんは川へ洗濯に行きました」というナレーションでもすみっコたちが動かないと「おばあさんは川へ洗濯に行きました」のナレーションを繰り返して押し進めようとするようなの。

(どことなくシンデレラガールズ劇場での千川ちひろさんの役回りを思わせるようなの)

 

観客をドキッとさせるような仕掛けもあったり、その仕掛けに対するフォローというか解決策もほんわかするものだったり、エンディングの映像まで含めて、とてもよい体験でした。