スペシャルアクターズ 感想

スペシャルアクターズ」を観ました。

2019年11月9日、丸の内ピカデリーにて。

 

弟くんがお兄ちゃん大好きでいいなあ、なんて思ってたらほんとにそういうお話でした、という。

物語の中の人物たちの間で化かし化かされみたいな部分もありつつ、どちらかというと観客を化かそうとしてました、みたいな。見ている間はのめり込んでたからそれほど気になってなかったけど、振り返ってみるとことさら。

大部分は主人公さんの視点(知っている情報)が観客と一致してるけど、一部分だけ、主人公の視点が観客から外れて観客が主人公に化かされる構図になっていたのが引っ掛かる部分かも。

 

ともあれ、お兄ちゃんのことを大好きな弟くんと、お姉ちゃんのことを大好きな妹さん、という人物配置がいいなあと思いました。

 

ジョーカー 感想

映画「ジョーカー」を観ました。

2019年10月22日、シネマサンシャイン沼津にて。

 

バットマン関係の作品をあまり見たことなくて、記憶にある範囲だとバットマンvスーパーマン、レゴバットマンニンジャバットマン、程度しか知らないもので、ジョーカーさんについてもレゴバットマンでのやたらとバットマンさんにちょっかいかけてくるバットマン大好きさんくらいの認識しかない上に、この「ジョーカー」の予告編が映画館で流れ始めた頃は「バットマンシリーズの敵としてのジョーカー」のことだと知らずに予告編を見ていたような、その程度の前知識の立場です。

 

なので、この作品のジョーカーさんがこのあとバットマンさんの前に立ち塞がる巨悪へと変貌していくらしいとか、バットマンシリーズのジョーカーさんとは別の世界線らしいだとか、情報が錯綜しているようですが、あんまりぴんときていません。

 

なんやかんや追い詰められた主人公が凶行に手を染めてしまった哀しいお話、としてだけ見ていた気がします。

 

探偵さんや刑事さんが殺人事件を解決していくような推理もので、犯人(容疑者)の独白の再現映像を見ているような感覚というか。

犯人(容疑者)が犯行に至らざるをえないほど追い詰められていたという境遇には同情の余地があるかもしれないけれども、だからといって、犯行に及ぶという一線を越えてしまったことについては断固として許してはならない、みたいな。

 

推理ものにおいて、推理する側である探偵さんや刑事さんが犯人の思考をトレースしようとするあまり犯人と同調してしまうというものもしばしばある気がします。

そういう作品では、読者ないし視聴者もまた犯人の思考に同調しやすいように描写されている気がします。

 

ふと思い出したのは「検察側の罪人」(2018年公開の映画のほう)でした。あれは悪を司法で裁くことができないという理不尽さを私的な力でどうこうしてしまったようなものだったと記憶しています。司法ではどうにもできないことへの苛立ちとか憤りみたいな部分は、共感というのか、理不尽さに対するやるせなさを感じる部分もありましたが、とある登場人物が道を踏み外していくにつれて、そっちへ行ってはいかんぜよ、みたいな気持ちにもなっていた気がします。

 

 

 

考えがまとまらなくなってきましたが、書きたかったのは、ジョーカーさんが「バットマンの敵としてジョーカー」と関連している(かもしれない)という付随的な情報がなかったとしたらどうだったんだろう、なんてことを考えてみたいというようなことだったはずでした。

 

 

 

HELLO WORLD 感想

HELLO WORLD」を観ました。

2019年10月14日、シネマサンシャイン沼津にて。

 

主眼は階層的な世界の構造のほうなのでしょうけれども、十代の男主人公と大人になった彼とが向かい合う構図という点で、空の青さを知る人よとハシゴしたこともあって、対比したくなってしまう感じ。

(男主人公の設定については双方とも予告編の段階で明かされていたはずなのでネタバレではないはず)

 

といいつつ、こちらのHELLO WORLDに対しては、大人の彼は「アバター」という説明だったので、実は中身は別人なのではないかとも疑ったりしましたが、そんなこともなく。

 

閑話休題

 

双方とも二つの時制が交錯する構造なわけですが、

空青は大人になった男主人公に対して十代の彼(および周囲の人たち)が働きかける構図である一方、

HELLO WORLDでは、十代の男主人公に対して大人になった彼が働きかけるという逆方向の構図になっています。

(空青の主人公は相生姉妹だろうというのはさておき)

 

なので、いずれにしても、メインターゲットであろう十代の観客とおなじくらいかあるいはそれ以上に、三十代四十代のおじさんにも刺さりやすい作りになっているのかもしれません。

…と書きながら思い出しましたが、天気の子の小栗旬さんもまた役割としては似たようなものなのかも。

世の中やさぐれたおじさまばっかりだ。

 

昔のアニメの「おじさん」ポジションの人はもう少し元気だったような、と思い浮かべていたのは加持リョウジさんの背中でしたが、このHELLO WORLD の彼はむしろ碇ゲンドウくんですね。

ようやく腑に落ちました。

 

 

あのキラキラしていたアイドルさんはもっと深く関わってくるのかと思ったのにそこまででもなくて、それでもエンディングではちらっと一行さんと一緒に買い物か何かに行ってたっぽくて、あのあたりのエピソードも気になるかも。

 

あと、京都タワーにいた幼女の人が、なんだかとても堀口さんって感じがしました。

 

空の青さを知る人よ 感想

「空の青さを知る人よ」を観ました。

2019年10月14日、シネマサンシャイン沼津にて。

 

空が、青いですね。

 

作劇上の線の引きかたがわかりやすかった印象で、それだけに壁をぶち壊す場面のインパクトが大きかったのかも

あの「壁」はたぶんいろんな意味の込められた壁だったのだろうなあみたいな

 

ギャルというほどギャルでもなさそうなギャルのクラスメイトさんの立ち位置もわりとすき。

背伸び気味なしょたとのおねしょた感。

 

BLACKFOX 感想

「BLACKFOX」を観ました。

2019年10月6日、横浜ブルク13にて。

 

見終わっての感想が、「アメコミヒーローだ」でした。

他の作品と比較するような書き方は双方に失礼でしょうし、そもそも私がアメコミヒーロージャンルをさほど熱心には見ていないので雑な先入観によるところが大きいものではありますが。

 

いまどきのアニメ作品で「見た目に反して」などといってもあまり意味はなさそうですが、もっとライトな感じを想像してたら思いの外に重厚なお話でありました。

 

よかったです。

 

 

 

実写版もネット配信されてるっぽいので見てみたいお気持ち。

 

 

ミュウツーの逆襲 EVOLUTION 感想

映画「ミュウツーの逆襲 EVOLUTION」を観ました。

2019年8月31日、109シネマズ川崎にて。

 

・昔のほうは見てないはず。(これだけのお話なら見ていれば覚えてそうなのでおそらく見てない)

 

・映画の「名探偵ピカチュウ」は見てたので、ミュウツーさんってこういう役回りなんだなーみたいな

・ある意味では中学生くらいでこじらせたみたいなものでもあるのでしょうけれども、普遍的な悩みでもあるのかも

・Virtual to LIVE の歌詞にある「どうしようもなく 今を生きてる」みたいな

・ジョー・力一(りきいち)さんの持ちネタでミュウツー漫談というのがあるのを後から知ったり

 

・ぼく自身はポケモンにあまり触れてこなかったもので思い入れみたいな部分はだいぶ小さいのですが、フシギダネさんヒトカゲさんゼニガメさんみたいなゲームの設定的な部分をこうやって物語に組み込まれると、プレイヤーだったらぐんっと身近なものとして引き込まれそう。

ミュウツーさんが「お前たち」と語りかけるとき、それは作中のサトシさんたちへの呼び掛けであると同時に、観客兼プレイヤー(ポケモンマスター)への呼び掛けでもあるかのような

 

・一方で、ミュウツーさんは自分が苛まれている苦しみを他のポケモンたちにも広げようとしていて、あのあたりはブレーキがこわれちゃってた感じ

ダークプリキュアとかああいうの

・コピーの子たちに自我がなければまだしも、たぶん自我的な意識は芽生えてしまってたっぽいんですよね

・いや、自我が無ければ無かったでやっぱり哀しい存在ではあるのですが

 

ポケモンという生物は根元的に戦うことを避けられないのかしら

・必殺技は使わない、なんて縛りを課してしまったがために、余計にあの状況の残酷さがいや増してしまったというか

 

・そんな中にあって、ニャーさんの風流さはとても際立っていました

 

 

 

二ノ国 感想

映画「二ノ国」を観ました。

2019年9月7日、シネマサンシャイン沼津にて。

 

推理もののドラマで容疑者の中に大物俳優さんがいると犯人が丸わかり、みたいなメタ読み手法がありますが、その対策としては容疑者の大物俳優さんを複数用意するということになるのでしょうか。

山寺宏一さんと宮野真守さん津田健次郎さんが同時に存在していていずれも胡散臭い。

マルチエンディングのゲームだったらそれぞれがラスボスになるルートとかあってもよさそう。

 

 

という与太はさておき、やはり「あした世界が終わるとしても」と対比するのがわかりやすいのかしら。

世界観(設定みたいな意味合いでもありますがどちからというと本来の世界の見方、視座みたいなほう)が真逆なような共通なような。

2つの世界に似たような人が存在しているとき、片方を助けるためにはもう一方を消さなければならないという考え方と、2つの世界の存在は根がつながっていて片方に何かあればもう一方にも影響が及ぶという考え方とが衝突してしまっていて。

この手のフィクションに馴染んでいるといつの間にやらそういう考え方も身についてしまってましたけど、わりと馴染みがないとわりと突飛な発想でもあるのかしら。

ハルくんの頑固さというか、ユウくんのことを夢想家みたいに扱って、意固地に「そういう設定なんだ」というのを受け入れようとしない姿勢は、見ているこちらとしてはじれったさもどかしさみたいなものを感じてしまったり。

 

ユウくんがお姫様と空飛ぶお船でバーフバリごっこしていたときにハルくんが何をしていたのかは劇中では描かれていなかった気がしますけど、自分を仲間外れにしてユウくんとお姫様だけでいちゃいちゃしてたと知ったらそりゃあハルくんもいい気はしないでしょうし、あのあとの意固地な態度もそのあたりから来ていたりしたのかしら。

 

 

この映画でいちばんつらかったのは、身内に裏切られて大切な家族を失った人に対して、大切な人を守るためなんだといって力でねじ伏せるところ。

その、自分を打ち倒そうとしている大切な人を守るための力こそ、彼が欲していたものだったろうと思うと、ほんとつらい。

力こそ正義。悲しい。