二ノ国 感想
映画「二ノ国」を観ました。
2019年9月7日、シネマサンシャイン沼津にて。
推理もののドラマで容疑者の中に大物俳優さんがいると犯人が丸わかり、みたいなメタ読み手法がありますが、その対策としては容疑者の大物俳優さんを複数用意するということになるのでしょうか。
山寺宏一さんと宮野真守さん津田健次郎さんが同時に存在していていずれも胡散臭い。
マルチエンディングのゲームだったらそれぞれがラスボスになるルートとかあってもよさそう。
という与太はさておき、やはり「あした世界が終わるとしても」と対比するのがわかりやすいのかしら。
世界観(設定みたいな意味合いでもありますがどちからというと本来の世界の見方、視座みたいなほう)が真逆なような共通なような。
2つの世界に似たような人が存在しているとき、片方を助けるためにはもう一方を消さなければならないという考え方と、2つの世界の存在は根がつながっていて片方に何かあればもう一方にも影響が及ぶという考え方とが衝突してしまっていて。
この手のフィクションに馴染んでいるといつの間にやらそういう考え方も身についてしまってましたけど、わりと馴染みがないとわりと突飛な発想でもあるのかしら。
ハルくんの頑固さというか、ユウくんのことを夢想家みたいに扱って、意固地に「そういう設定なんだ」というのを受け入れようとしない姿勢は、見ているこちらとしてはじれったさもどかしさみたいなものを感じてしまったり。
ユウくんがお姫様と空飛ぶお船でバーフバリごっこしていたときにハルくんが何をしていたのかは劇中では描かれていなかった気がしますけど、自分を仲間外れにしてユウくんとお姫様だけでいちゃいちゃしてたと知ったらそりゃあハルくんもいい気はしないでしょうし、あのあとの意固地な態度もそのあたりから来ていたりしたのかしら。
この映画でいちばんつらかったのは、身内に裏切られて大切な家族を失った人に対して、大切な人を守るためなんだといって力でねじ伏せるところ。
その、自分を打ち倒そうとしている大切な人を守るための力こそ、彼が欲していたものだったろうと思うと、ほんとつらい。
力こそ正義。悲しい。