蒼き鋼のアルペジオ 感想

映画「劇場版 蒼き鋼のアルペジオ -アルス・ノヴァ- DC」を観ました。

2回目。

1回目の感想はこちら↓
http://d.hatena.ne.jp/fkt2/20150131/1422710602:TITLE

原作未読。
テレビシリーズ未見。

1回目は完全に初見だったのでただただ圧倒されただけでしたが、今回もやっぱりおもしろいな〜、と感嘆しました。



別の作品と比較して良い悪いを言うのはあまり行儀がよくないかもしれませんけれども、自分が「おもしろい」と感じた作品と「ちょっともの足りない」作品があった場合に、それらを比較して、自分はどういうものを「おもしろい」と感じるのか、もの足りない作品は何が違ったのか、みたいなことを検証してみるのはそれほど悪いことではないのではないかと思って、少し考えてみました。


1.メカニカルな可変ギミック

艦船の底がガバッと開いて、くぱぁっと超重力砲が出てきたりする場面のワクワク感が、いいなあと思います。

ロボットものの変形合体に胸を踊らせて育った世代だからかもしれませんけれども、ああいうガシャガシャとした機械的な変形は、見ていて楽しいですし、アニメーションの醍醐味だろうと思います。

あるいは、水戸の黄門さまみたいなお約束な決まり事という定型も、物語とかっちりハマると盛り上がる効果が大きいのかもしれません。

魔法少女ものの変身場面もまた、近しい感覚かもしれません。

例の娘さんの方でも艤装を装着する場面はありましたし、あの場面自体は良かったと思うのですが、せっかくの良い場面が使いきりのような扱いだったのはもったいなかったのではないかと思います。

毎回、バンクシーンとして使い回したりとか、もしくは、ここぞという時のパワーアップ場面でばばーんと強調して使うとか、あってもよかったのではないかな〜、という素人考えです。


2.敵対勢力側の葛藤

物語として、味方 対 敵 という二項対立を描く場合、

a.味方の窮地からの起死回生
b.敵対勢力側の葛藤

という二種類のドラマがあるのではないかと思いますが、この「蒼き鋼のアルペジオ」では、その両方が綺麗に機能していたように見えます。

とくに、タカオさんやコンゴウさんの苦悩は、主人公であるはずのチハヤグンゾウさんよりも魅力的に思えるくらいでした。

チハヤグンゾウさんが指揮官として優秀すぎるばかりに、人間としての苦悩みたいな面が見えず、魅力を感じにくかったという面もあるかもしれませんけれども。

この劇場版は総集編ということらしいので、もしかしたら本編では描写されているけれどもここでは省略されている、のかもしれません。

艦橋のスタッフに関してはほとんど紹介すらも無いので、あえてバッサリ削っているのだろうと推測しておきます。

ともあれ、タカオさん、コンゴウさん、キリシマさんハルナさん、400さん402さん、といった敵対勢力側こそ魅力的に描かれているように感じました。

これは、主人公側が一方的に絶対大正義であり敵対勢力である霧の艦隊は悪である、という風に見えてしまいかねないので、少しばかり危険思想のような気もしてしまいますけれども、
政治的な「正しさ」と物語としての「おもしろさ」とは、必ずしも軸が一致しないものなのかもしれません。

(余談ですが、「霧の艦隊」という名称は人類側が呼称として付けたものかと思っていましたが、向こう側も自分たちを「霧」と自称しているのは不思議だな〜と思いつつ、最後に出てきたあの人がそう仕向けたのかもしれないと想像するにとどめます。

別の例として、地球外生命体がこの星を「地球」という名称で呼ぶのはおかしい、という方向性の違和感といいますか。)

えーと、比較の話。

娘さんのアレでは、敵対勢力側が描かれないのは、まあ、仕方ない部分もあるのかもしれません。

が、1話冒頭のナレーションと最終話での敵さんとの相関だったり、如月さんの絡みで何らかの描写があるかもというほのめかしもありますので、2期ではもう少し掘り下げられることを期待したいところです。

あと、(原作ゲーム自体は放置状態ながら)2次的なイラスト等で見かける「ほっぽさん」がすごく魅力的なので、ああいう方向性を期待している気持ちもあります。


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そんなわけで、ぼく自身はこちらの「アルペジオ」にあまり触れないまま向こうを見たので、もの足りないながらもそれなりに楽しめていましたが、これを先に見ていて期待度合いが高く設定されていた提督さんにとっては不運だったのかもしれないな〜、と他人ごとのように想像する次第です。