アップルシードアルファ 感想

映画「アップルシードアルファ」を観ました。

原作未読。
黒田硫黄版未読。

なんかサイボーグな人たちがどんぱちするお話。

本来ならば、CGすごい!、と絶賛する感想がまず出るべきところなのですが、実際、たしかにすごいのは間違いないのですが、なんというか、ほんとにCGすごい!、だけしか無いような気がして、なんとも表現が難しいです。

たぶんファイナルファンタジーシリーズみたいなビデオゲームの方面では既にこういう実写寄りの技術は確立されてきていて、この前のキャプテンハーロックもたしかこんな感じの作画だったと思いますが、
ヒトの顔の不気味の谷問題もどうにか対処できているとは思いますが、
不気味ではないものの、作り物感が強いというか、
もちろんアニメーションである以上、作り物であること自体は問題ではないはずなのですが、
動作としても、歩き方のちょっとした揺れだとか重心移動みたいな部分や、棒立ちの場面でも静止しないでゆらゆらしてたりとか、細かい仕草で「生きてる」感が表現されていて、固い人形を動かしているだけみたいな感じではなく十分に「生」ではあるのですが、
あそこまで技術的な描写能力が向上したにもかかわらず、「なんか違う」ように感じてしまうのは、何故なのかしら。

ここまでできているのならあともう一歩踏み込んでほしい、みたいな期待感とでもいいましょうか。

登場人物の名前を覚えていなくて申し訳ないのですが、主役のえば零号機みたいなまっちょさんはともかく、悪の親玉の2本角さんの誇張が大きめな表情が豊かで見ていてすごく楽しいわけですが、
それに比べると、ヒトの顔を残している人たちは、なんだかいつも決め顔でキリッとしてなくちゃいけない演技指導でもされてるのかしらとも思えてきます。

あ、黒光りな女性的フォルムのお姉さんは素敵でした。

ドロッセルお嬢様の系譜でしょうかしら。

あの容赦の無さとか、年齢指定があっても不思議でないくらい。むごい。



たしか鈴木敏夫さんが「映画をストーリーばかりで評価される風潮があって、表現手法が評価されないのは悲しい」(意訳)みたいな発言をしていたのをどこかで読んだのですが、
本作も、映像面ではたぶん「すごい」といえると思いますが、
ついった界隈で議論されるように、技術的に「すごい」ことと、作品として「おもしろい」こととは、必ずしも両立しないのかもしれないなあ、とか思いました。

「おもしろい」という言葉も、映画全体を通して言う場合と、個別の部分部分で「あ、ここおもしろい」と言う場合もありますし、
そもそも「おもしろい」自体が「ゲラゲラ笑えるようなおもしろおかしい」から「学術的興味みたいな見地でおもしろい」までいろんな意味を内包してしまうので、
具体的に何がどうおもしろいと感じたのかを説明する言葉を身につけたいものです。