やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。10 感想
渡航「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」10巻、小学館
進路選択とマラソン大会のお話。
このお話は、奉仕部という謎部活が毎回舞い込んでくる依頼をはたそうとするような、あるいは難題を解き明かそうとするような、ある種の探偵もののような構造として読むこともできると思うのですが、
今回はまさしくその様式に則った感じ。
はたして「彼」はどちらを選択したのか。
というお題目に対して、奉仕部の面々が、あれやこれやのアプローチで迫ろうとします。
これまでも、夏目漱石や宮沢賢治やサン=テグジュペリが引用されてきましたが、今回は太宰治。
「走れメロス」は国語の授業で読んだ気がしますけれども、「人間失格」はどうだったかしら。
あまり記憶にありません。
そんなビミョーな距離感が程よくて、本書に挿入される3つの「手記」が、いいアクセントになっています。
自分の読解力の低さが悲しくなるのですけれども、これらが誰の「手記」なのかは明示されていません。
「第一の手記」と、「第二の手記」「第三の手記」とはおそらく別人だと思うのですが、
(「第一」はまだ読みかけで結末を知らない、「第二」「第三」は繰り返し読んだことがある)、
そしてどうやら八幡さんはまだ読みかけで結末を知らないらしいのですが、
はたして。
結末についても、そこへ至るまでの思考過程は念入りに描写されるのですが、結論の部分はあえてふんわりぼかされているように見えて、え?、結局どういうこと?、みたいな。
国語の試験で出題されたら、正解できそうにありません。
「選択しない/できない」という状況は既に八幡さんも経てきた道であり、今後また向き合わなければならなくなるであろう問題ではありますが、
そしてこの巻だけ読むと「お前たちが俺の翼だ」に見えなくもないですが、
いずれは決断を迫られる時が来るのでしょうかしら。
今回初登場(だったはず)のママノ下さんや大魔王はるのんお姉さんとの最終決戦に向けた前哨戦なのかもしれませんけれども、
鏡像のような、ライバルのような存在と向き合い、自分を見つめ直す重要なシークエンスだと思われ、
結果として、はや×はちは正義。
それにしても、八幡さんのスペックの高さには毎回驚かされつつ、そういえば1巻から既にテニスで互角に近い勝負をしていたのでした。
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