サイボーグ009 CALL OF JUSTICE 第3章第2章 感想

映画「CYBORG009 CALL OF JUSTICE」を観ました。
12月11日、MOVIX清水にて。
上映時間の都合で第3章→第2章の順。


2〜3章を通して

強大な敵(力が強いだけでなく社会的な地位や立場の面でも強い)をどうやって倒すのか、というお話ではあるのですが、同時に、サイボーグである00ナンバーズの願いは何か、彼らはどのような世界を望むのか、という内面的な部分も深く掘り下げられていました。

とくに003 フランソワーズさんは戦いを忌避していて、できることなら隠れてひっそりと静かに暮らしたいと願っています。

一方で、第2章のとある場面ではサイボーグとしての力を失い、普通の肉体になることの喜びを得た反面、力が無いと戦うことができない、大切な人を守ることができない、という問題と直面することになりました。

そして、009 が加速中に見ている世界の光景。

正直なところ抽象的で観念的な映像表現を読み取る力は僕には無いので、009 の見ている世界がどういうものなのか理解が及んではいないのですが、劇中で同じようにその景気を見た人物は「圧倒的な孤独」というようなセリフで説明していたと思います。
その孤独こそが人類を守ろうとする動機になってるとかなんとかかんとか。

自分以外が静止した世界の孤独を身を以て知っているからこそ、他人の存在を受容したり守ろうとしたりできるということなのかしら。


以下、余談。

今回の敵の人は人類をムリヤリ進化させたいという、とても人類のことや地球のことを真剣に考えていた人なのだろうと思います。
言うなれば『寄生獣』の広川市長に通ずる部分があるのかもしれません。
もしくは『風の谷のナウシカコミック版』の墓所を作った人たちかも。

つまり、個人的な感情をひとまず脇にのけて、純粋に曇りなき眼で地球環境を案じるのであれば、もはや人類の個人レベルでの環境意識の向上を待てる猶予など無く、多少の手順をすっ飛ばしてでも強制的に次のステップへ進ませることのできる手段があるのであれば、その手段を採らない理由などありはしないのです。

愚かなる地球人類を、崇高なる我々の手で進化させてしんぜよう。ふはははは。

とても親切で温情に篤く勇敢な人物です。



ただし、その強制進化の成功率は5%程度。
適合できなかった95%近くの人たちは死滅してしまうことになるかもしれません。

ここに、愚劣ながらも愛しき我らが地球人類様は、畏れ多くも反発してしまいます。
自分が死にたくないという利己的な理由で。

わずか5%程度とはいえ生存できる人たちもいるのに。
生存できれば、現在の愚鈍な肉体ではなく、より高度で理知的で健全で慈愛に満ちた、より優れた存在になることができるのに。

彼らが長い歳月と費用をかけて準備してきたせっかくの貴重な機会を反故にしようというのです。

さらに問題なのは、その選択を、当事者である地球人類様自身に委ねるのではなくて、所詮はサイボーグに過ぎない00ナンバーズが独断で、地球人類様を代弁するかのように、打ち壊してしまうのです。

もし仮に、この計画を正式に公表して、全人類による投票で可否を選択することになったら。
果たして地球人類様はどのような選択をするのでしょうかしら。