女が眠る時 感想
映画「女が眠る時」を観ました。(2月28日観賞分、ブルク13)
原作未読。
とある海辺のホテルに滞在する二組の男女のお話。
ひとつは、大きな賞を取ってデビューしたものの2作目にはさほど注目されなかった自称・小説家の男性と、その妻で編集者ではあるものの夫の担当ではない女性との組。
いまひとつは、年配のおっさんと、若い女性との組。
ただしどうやら親子ではないらしい。
お話は、基本的には小説家の男性の視点で描かれています。
訳ありげな老男と若女との組み合わせに興味を持った小説家男性がこっそりと探っているうちに、なんだかおかしなことになっていきます。
また、視点が小説家男性なので、時折、事実とは異なる夢想や創作のような描写も挿入されているようです。
どれが事実で何が虚構なのか、次第にその境界が曖昧になっていきます。
部屋の中を覗き見したのが虚構かもしれないし、事実かもしれない。
覗き見が事実だとしても、その見た状景が事実かもしれないし、空想が織り込まれているかもしれない。
部屋の中に侵入したことも、はち合わせそうになってベッドの下に潜り込んでやり過ごしたのも、ルームキーパーさんとばったり出くわしたのも、ほんとにあった出来事かもしれないし、妄想にすぎないかもしれない。
はっきりとしたことは何一つわかりません。
それにしても、毎日撮影してるのに良いもの以外は上書きしちゃってるのはもったいないなーと思いつつも、テープで保存となると量的にも金額的にもたいへんそうだし、やむを得ないのかもしれないとも思えるし、難しいものです。
せめてデジタルカメラならば、上書きせずに大半を記録に残すことも可能なのでしょうけれども。
とはいえ時代背景もありますから、現在のデジタル機材を基準にして10年以上前の話に適用しようとしても仕方ないわけですが、一方で、10数年に渡って同じ機材を使い続けているのも現実味が薄いというか、ある程度の段階で機材を新調していてもよさそうなものではないかと思うものの、互換性とかの問題もあったりするのかもしれません。
と、撮影する側の視点では思ってしまったものの、撮影されてる側からすれば、あんな映像が残っているなんてたまったもんじゃないのかもしれません。
劇中ではほとんど描写されていなかったと思いますが、そういった自我の芽生えみたいなものもあったりしたのではないかしら。
リリーフランキーさんのお店(?)が何のお店だったのかよくわからなかったのですが、お食事処みたいなものだったのかしら。