チャッピー 感想

映画「チャッピー」を観ました。
映画『チャッピー』 | オフィシャルサイト | ソニー・ピクチャーズ

2D字幕版。

(2015.6.21追記)
大事なことを書き忘れました。
へご野郎、大活躍。

叫ぶ!びっくりチキン Lサイズ

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2脚で自立するには華奢な体躯だなーとか、
ワイヤーやモーターの集合体に人工知能をインストールしたところでヒトの幼体のような動作をするだろうかとか、(アクチュエーターの特性に合わせた機械ならではの動きがあってもよかったのではないか)、
ヒトと一緒にああいう作戦行動をするならもっと装甲の表面積を大きくしたほうが盾として役に立ちそうとか、
ロボットの指でキーボードを叩くのかとか、(ケーブルで直結すれば物理的な入力デバイスを使う必要性はないはず)、
脳波の測定方法がヒトと電気回路と同じでいいのかとか、(脳の血流量と電装基盤や集積回路の電流値とが相似形だったりするのかしら)、
デジタルデータなんだからボディがなくてもPCのHDDなり物理メモリなりにコピーでもいいじゃんとか、
複数のボディにコピーしたらいいじゃんとか、
思いながら見てしまいました。

にわか知識なのでもしかしたらツッコむところがおかしいかもしれませんけれども。



ともあれ、「人工知能」というよりは、奇形の「ヒトの幼体」の表象だと思います。

コンピュータによる世界の認識は、通常、ヒトが言語を介して認識するものとは異なるはずです。

世界を検知するセンサーが異なれば、世界に対する認識も異なるはずです。

ヒトの目の水晶体を通して見える世界と、カメラのレンズを通して見える世界とが同じとは限りません。

色が違うかもしれない。
ヒトには「赤」に見える色が、RGBの数値でいくつからいくつの範囲なのか、その数値範囲から外れたらどう処理するのか。「赤」と「朱」と「紅」の違いを認識できるのか。

遠近感が違うかもしれない。
複眼と単眼とでは、視覚の奥行きに対する認識、計測、把握能力が異なるかもしれない。
単眼でも、自分の移動距離から視差を計算して奥行きを把握する手法もあるみたいですが。

形状の認識が異なるかもしれない。
三次元的な円柱を見るとき、たとえば茶筒を見るとき、真上から見れば円形、真横から見れば長方形、斜めから見ればまた異なる形状。それらの異なる角度から見た物体を、同一の物体として認識できるのか。

物体と名称との相関関係を理解できるのか。
ヒトはまずヒトという種族であり、男性と女性とに分類できるが、外見だけで男性か女性か判別することができるか。(これはヒトにとっても困難な問題であり、必ずしもロボットが実装しなくてもいいけれども)。

ヒトには固有の名称がある。作中では「ニンジャ」「ヨーランドゥ」「アメリカ」「ディラン」など。
さらに、
「ニンジャ」=「パパ」
「ヨーランドゥ」=「ママ」
「ディラン」=「メーカー」
といった別称まであるのだけど、これらの同一性をどのように認識するのか。呼称の使い分けをどのように判断するのか。

上記の問題について、網羅的に条件分けしていくのは不可能であり、それを電脳で処理させてしまえ、というのが人工知能だったはずです。
ぼくの知識は10年以上昔のものから更新されていないので、近年はもっと整理されているとは思いますが、少し思い出しただけでも、いろいろとややこしい問題を抱えていた気がします。

本作では、そのあたりはさらっと流して済ませています。
言葉を教えたらそのまま記憶できます。

「靴」という言葉を教えると、「靴」という概念を理解したかのようです。
ブーツとスニーカーと革靴の違いとは、などと悩みません。
右足用か左足用かで形状が異なることに悩みません。
パパの靴とママの靴との違いに悩みません。
「靴」と「靴下」の違いがあるかどうかも、たぶん悩まないでしょう。
大雑把に、抽象的な概念を理解しています。

そういえばチャッピーさんは絵を描くような感性の持ち主でした。
「空(そら)」という概念すら理解します。

「空(そら)」を言語的に説明しようとすると、意外に難しいことに気づくと思いますが、そうであっても、ヒトは「空(そら)」を感覚的には認識できています。
どこまでが「空(そら)」なのか、なんて普段考えることはないでしょう。
成層圏とか大気圏とか、上空何kmとか意識しないでしょうし、雲の高さは「空(そら)」と呼べるけと、ビルの屋上くらいの高さ、平屋の屋根の高さ、ヒトの背の高さ、地面との境界、どこまで「空(そら)」と呼べるのかとか考え込まないでしょう。

「空(から)」すなわちゼロの概念は、さらにややこしいはずです。

言語って案外ざっくりとした抽象的で感覚的なものなわけですけど、チャッピーさんはそのあたりの抽象的概念はあっさりと身につけたみたいです。
本当に優秀な人工知能です。

ヒトの幼体と、人工知能の未熟さとが、同等なものかどうか、わかりません。
わかりようがありません。

外界からの入力と、自分が外界へ及ぼす出力と、それに伴って自己内部に生じる各種の変化とを、それぞれ変数として処理し、フィードバックループを形成し、学習し、ニューロンのノードを調整していきます。

彼我の差異を知り、他者との境界を知り、世界との断絶を知ります。

私は私であり、あなたではない。
赤子が、泣けば食料を与えてくれた両親を自己の延長として認識しているかもしるないし、思い通りに動かなければ自己からの断絶を感じます。万能感は剥奪されます。

人工知能はどうでしょう。
チャッピーさんの場合は、ディランさんのPCの中で900日以上も育成されてきました。
下地は十分にできていたのかもしれません。
だからこそボディを得るやいなや、即座に環境に順応できたのかもしれません。

チャッピーさんのボディがヒト型に近いのも好都合だったのかもしれません。

タチコマさん的な多脚型では、制御方式がまた全然異なるかもしれません。

チャッピーさんはボディがヒト型だからこそ、ヒト社会に順応できたのかもしれません。

そういえばチャッピーさんの表情がときおり類人猿っぽく見えたような気もします。

話が長いわりに何を言いたかったのかわからなくなりましたが、本作においては「人工知能」の部分はあまり深く考えないほうがいいですよ、みたいなことだと思います。

舞台は南アフリカヨハネスブルグ

フィクションとはいえ、物騒な世界です。
世紀末みたい。

格差社会が制度化されていた世界では、その制度が撤廃されても、あまり変わらないのかしら。
白黒の格差というわけでもないみたいですが。

善悪の概念も、教えるのは難しそうです。
ハサミも包丁もナイフも手裏剣も、使い方次第。



そういえばハイエース案件は恐ろしい。
マンガネタでは、あれもそんなに笑えませんけれども、こちらもかなりグロいというかえげつないです。
もうやめてー、ってなります。
つらい。

ヒュージャックマンさん、かっこいいです。
ヒトのヒトたる部分が集約されているかのようです。
よいものです。

結末は、続きが気になります。
どんな世界になるのでしょう。

Chappie: The Art of the Movie

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