おかあさんの木 感想

映画「おかあさんの木」を観ました。
映画『おかあさんの木』公式サイト 大ヒット上映中!

原作は国語の教科書にも採用されていたらしいですが読んだ覚えがないので別の出版社の教科書だったのかもしれません。

徴兵の選別基準を未だによく知らない不勉強で恥ずかしいのですが、若い人たちが次々と出て行かねばならないのに対して、郵便屋さんは悠々自適にレコードを聴いていられるような格差が当時から既にあったのだなあ、みたいなことを感じました。

暖炉で昔話をする老女さんという絵は、昨日観た『ニャル子さんF』の影響も残っているせいか、『アベル伝説』を思い出していけません。

鈴木さんが、よかったです。
ただのイヤな人はでなくて、職務に忠実なだけの血の通った人間でした。

逆に夫の人のお父さま、“おかあさん”から見ればお義父さんは、まさしく「お国」を妄信して盲従しているだけの犠牲者だったのかもしれません。
“おかあさん”がお義父さんから迫られるような展開も、行間では繰り広げられていたのかもしれません。

波岡一喜さんのあの場面はえろい解釈でいいのかしら。
どうしてあんな場面を挿入したのか意図を読み取るのが難しいところだと思いますけれども、次々と息子を奪われていった“おかあさん”が、息子の代替となる人を行きずりに求めたとしても不思議ではないのかもしれません。

思えば、最後の息子が出征しようという場面で息子の足にすがりつく“おかあさん”というのも、えろい目線で見ることができるかもしれません。

田辺誠一さんがそういう(“おかあさん”を慰める)役割になるのではないかという期待もありましたけれども、(たしか男手ひとつで娘を育てていたという話だったはず)、そちら方面の進展はとくに描かれなかった気がします。
今は亡き同僚の嫁さんを娶る、みたいなテンプレートも世の中にはあるかと思うのですが。

“おかあさん”は畑を耕すばかりで、収穫する場面は数える程度しかなかったのではないかしら。
農業をよく知らないので見当違いかもですが、耕すのが農業なのかしら。
畑を耕すばかりで作物の収穫が無いというのも何がしかの暗喩なのかしら。みたいなこじつけもできそうですが、大根みたいなのを掘って土を払っていた場面もあった気がするのでやっぱり違うのかも。
これが畑でなくて岬の喫茶店とかであれば、明らかにそちら方面の商売を暗喩してるように読み取ることもできたでしょうに。

あ、家へ向かう途中にトンネルがあるのは、暗示的なのでしょうか。
彼岸と此岸の境界、みたいな。

“おかあさん”側からすれば、トンネルのこちら側(家の側)が此岸、トンネルの向こう(外側)は彼岸、なのでしょうけれども、
世間的にはトンネルのこちら側(世界側)が此岸であり、向かう側(“おかあさん”の家の側)こそが異界なのかもしれません。
俗世間から隔絶した秘境、『純潔のマリア』の魔女の森みたいな感じ。
そういった非日常の世界では常とは異なる営為が行われているやもしれぬという勘ぐりは免れ得ないものでしょう。


なんというか、シリアスな、悲惨なお話を観たはずなのに、感想がなぜだかえろい方角へ向かってしまうのはよろしくありません。
反省。

余談、「報告させていただきます」ではなく、自分の意志と責任で「報告します」と言うべき、という忠言はほんとその通りなのですが、会話だとついつい使ってしまいます。
「させていただきます」は相手に責任を委ねようという甘えみたいなものが発露してしまうのかもしれません。