ジヌよさらば〜かむろば村へ〜 感想

映画「ジヌよさらば〜かむろば村へ〜」を観ました。

原作未読。

ちょっとばかり痛そうな場面があるので、痛いのが苦手な向きは要注意。



ジヌ(銭)を使わずに現代日本で生きていくことができるのか、という問いかけのご様子。

引っ越しの手続き諸々とかあそこまで行くための交通機関とかはどうしたんじゃろ、というツッコミは野暮かもしれません。

現ナマが無理ならネット通貨でぽちぽちすればいいじゃない、とか。

振り込みとかクレジットとか使っていれば現ナマを見なくても生活できてしまうかもしれない社会に対する痛烈な皮肉でもあるのかもしれません。

クリックひとつで購入できてしまうというのは、金銭感覚が麻痺しちゃうんですよね。
困ったものです。(ガチャガチャ)


という主人公さんの事情はさておき、個人的な興味はむしろ村長さんの側に向いていました。

みんなの願いを叶える願望器のような存在。

かむろば村には別に「神さま」を自称する人物が居て、村人たちも神さまだと信じているみたいなのですが、
そして村長さん自身もその自称・神さまから推薦されて村長さんになったみたいなのですが、
もはや、村長さん自身こそが神さまみたいな感じではあります。

少年ハリウッド」で語られていた、神さまも生け贄も同じようなものなのかもしれない、という話に通ずるところだと思います。

魔法騎士レイアース」のエメロード姫かもしれないし、「少女革命ウテナ」の鳳暁生さんかもしれません。

この村長さんは、外観が阿部サダヲさんだし、腹部もふくよかだし、鳳暁生さんとは似ても似つかないわけですが、
役割としては、鳳暁生さんのような「器」みたいに見えてしまいました。

自分自身を消して周囲のみんなのために尽くすという、滅私奉公を具現化したような存在。

とはいえ、そこまで聖人君子というわけでもないあたりもまた、生きている人間という感じもします。


女将さんの、中村優子さんでいいのでしょうか、背中というか肩のあたりが、すごく綺麗だなあ、とか思いながら見てました。

昨日の綾野剛さんの肩のあたりとはまた違った、「しなやか」とか「たおやか」みたいな形容が似合いそうな感じ。

よいものです。