ラストレシピ〜麒麟の舌の記憶〜 感想

映画「ラストレシピ 〜麒麟の舌の記憶〜」を観ました。
11月12日、横浜ブルク13にて。
原作未読。

お料理のお話。

ぼく自身は安い舌なのであまり美味しいものに対するこだわりみたいなものはなくて大抵のものを美味しくいただくことができるのですが、舌の肥えてる人は味に対する要求が高くなる一方だと相対的に食事に満足できる機会が少なくなってしまうのかしらと思うと、幸せな食事って何なのだろうなんて考えさせられます。

自炊に挑戦しようとしてみたもののどうにもめんどくささが勝ってしまって諦めた人間としては、牛丼でもハンバーガーでもカップ麺でも美味しくいただけるものが世の中にたくさんあるということに感謝の念しかありません。

究極的には、食事は「何を食べるか」よりも「誰と食べるか」だというところに帰結しそうではありますが。


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麒麟の「舌」という言葉の文字面だけを見ると、いわゆる味覚、調味料は何を使っているのかという組成の分析に長けている人なのかと思ってしまいますが、本作の登場人物たちは視覚的な要素もかなり重要視しているように見受けられたので、「舌」はあくまで比喩表現で、料理全体としての記憶を司っている感じなのかしら。

料理の味って部位毎に異なる気がして、一部分だけ味見した程度ではゾウの耳なのか鼻なのか足なのかわからないのではないかと素人考えしてしまいますが、耳だろうと鼻だろうと足だろうと、一部分だけ感じれば全体像が思い浮かぶくらいの領域にまで達しているのかしら。


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NHK でやってるファミリーヒストリーって当事者ご本人にとってはものすごく重大なことなのかもしれませんけど、部外者が見ててもたぶん感じ取れるのはその十分の一とか百分の一とか、ほんのわずかな部分なのかもしれないなーなどと思いつつ。
とくに歴史に名が残っているわけでもない一個人の人生と、歴史上の有名人物の人生と、まったく架空なフィクションの中の人物の人生と、そこに違いを感じるか、有名無名を問わず人生それぞれと感じるのか、受け手に委ねられているのかもしれません。