暗殺教室 感想

映画「暗殺教室」を観ました。

原作未読。
アニメシリーズ未見。

暗殺とはいったい。

辞書的な意味合いとしては齟齬はなさそうなのですが、個人的に持っていた暗殺に対するイメージを揺るがされました。

コロさなければならないけれどもコロしたくない、みたいな二律背反は、ある種の(マンガやアニメにおける)武術で一子相伝的な、師をコロしてこそ継承されるみたいなものを踏襲しているのかもしれません。

教育って難しいですが、教える側と教わる側との信頼関係が徐々に構築されていくのは、よいものです。



中盤の合宿という体で立てこもってのわいわいガヤガヤお祭り騒ぎな展開は、「ぼくらの7日間戦争」を思い出しました。

部活動とはまた少し違う感じの共同生活感。

中学生にしては体格がいいというかトウが立っているみたいに見えますけれども、あえて「中学生」でなければならなかったのかもしれません。



あと、ナギサさん(主人公格の人)の顔見知りっぽい女子の人からの部外者視点が、いいなあと感じました。

観客視点ではむしろ彼女にこそ自分を仮託できそうな。

あの人たち盛り上がっててなんだか楽しそう、という羨望のこもった疎外感みたいな、教室の外側に視点を置くことによる対比で、残酷さを増しているように思います。

平凡な日常に対する鬱屈と、非日常的な活性化への羨望、憧憬。

あの場面の花火もまた、印象的でした。



高嶋政伸さんの役柄が、ここ数年よく見かけるような方向性で、毎度毎度、すごいなあ、と感服します。

にこやかさと過激さとを併せ持つ両面性の怖さ、みたいな。

ただ、この映画への苦言になりますが、私刑はちょっとやりすぎではないかしら、と心配になりました。

コンクリ埋めは全然シャレになってないと危惧してしまいます。



苦言でもう一点、服装の季節感がなくて残念でした。

春の始業式では冬服の上着を着用してるとか、夏場では夏服半袖になるとか、実写であればできそうなように、素人目には思えてしまうのですけれども。

キャラクター設定的な手間は、アニメ作品でも実写でも、あまり変わらないものなのかしら。

難しい。