柘榴坂の仇討

映画「柘榴坂の仇討」を観ました。

原作未読。

桜田門外の変で主君をころされたお侍さんが、仇討ちしようとするお話。

明治の波に逆らうように刀を下げて髷に袴姿で仇を探す13年の歳月は、なんだかただひたむきに使命を全うしようとする社畜さんのようですらあります。

お給料が出ているわけではなく嫁さんが働いて家計を支えているようなので、境遇はむしろヒモに近いのかもしれませんけれども。

るろうに剣心さんもそうだったように、あの時期、時代の変化についていけないお侍さんも大勢いたのだろうなあ、と想像する反面、本作ではどうにかこうにか手に職つけて明治の変革に対応していこうと市井に紛れた元お侍さんもまた至る所にいたのだということも描かれていて、ほうほうなるほど、と思いました。

13年、長いようでもあっという間なのかもしれません。
ぼくも就職してそのくらいになりそうですが、これまで何かを為せたかというと、胸を張ってこれと言えそうなものは無く。
社畜の安寧。
困ったものです。

13年という歳月の経過は、街並みや人々の服装で表現されていましたが、たとえば、阿部寛さんのお隣の娘さんがそれに合わせて成長してきた、みたいな描写があったりしたらもっと、おぉすげー、とかなったかもしれませんけれども、実写ではまあ難しいですかね。

32歳と45歳では、外観上は大して変わらないといえば、案外そんなもんかもしれません。
むしろ、13年前の時点で若さが足りな……、げふんげふん。

映画「風立ちぬ」では、創造的な仕事をするための持ち時間はわずか10年だと告げていますが、(その後の宮崎駿監督の言葉では40代頃を指しているようですが)、その貴重な時間を復讐という名の徒労に費やすことの、哀しさ、虚しさ、愚かさをこそ、本作は説いているのかもしれません。

あるいは、40代からでも人生やり直すことができると言いたいのかもしれませんが、あまりその後に希望を抱ける結末でもなかったような気がします。

35歳を過ぎると無職になってもニートとすら呼んでもらえないようなので、職を失うのが怖くてたまらないのですが、一方でこのまま昇進もできずに平のままというのも希望があるわけでなく、といって管理職になれるような他人を動かす才覚なんてあろうはずがないわけで、
あかん、これ、詰んだんじゃね?、と日々不安に苛まれる今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。

っべー、まじっべーわ、どーすっべー。
と、俺ガイルの戸部さんのものまねでもしたくなるのでした。