エンジン・サマー

ジョン・クロウリー大森望=訳)「エンジン・サマー」(扶桑社)を読みました

『はるかな未来。機械文明は崩壊し、さまざまな遺物のなかで、独自の文化が発達した世界。少年〈しゃべる灯心草〉(ラッシュ・ザット・スピークス)は、みずからの旅の顛末を語りはじめる。聖人になろうとさまよった日々、〈一日一度〉(ワンス・ア・デイ)と呼ばれた少女との触れあい、〈ドクター・ブーツのリスト〉との暮らし、そして巨大な猫との出会い―そこからじょじょに浮かびあがってくる、あざやかな世界。彼の物語は、クリスタルの切子面に記録されていく……いまも比類ない美しさを放つ、ジョン・クロウリー幻想文学の名作、ついに復刊!』(裏表紙より丸々引用)です。



えーと、とりあえず、登場人物の名前が印象的なわけですが、
おもしろい、というよりも、きれいな、とか美しい、といった形容詞がふさわしいお話だと思います。

導入部でほとんどネタバレ的な記述があるのにもかかわらず、その意味や詳細な内容は本編を読むに連れて次第に明らかになっていく、という構造になっていて、
終盤で提示されるとある事実は、なんともメタフィクショナルなというか、作品の外側の世界をも巻き込むような広がりをもって、読者に切ないほどの余韻を残します。

…って、訳者のあとがきの受け売りみたいになっていますけども…


とにかく、荒廃した未来世界において、文化や社会構造も変化を遂げていて、
文明的な断絶ゆえに、現代では当たり前(といっても、日本人であるぼくがどの程度理解できているのかはわかりませんけども)のようなものが特別な意味をもっていたりして、確固とした別世界が作中に成立しています。


お話は、主人公の〈しゃべる灯心草〉くんが、〈天使〉さんに、自分の旅の物語を語り聞かせる、というような体裁で、
灯心草くんの生まれ育った街や、街を出て旅をしている間に出会った人やもの、それぞれ単体でも意味ありげなものが、連綿と連なりあって、大きな意味を帯びてくる様は圧巻です。

ドクター・ブーツの正体とか、びっくりというかぞっとしました。

そんなこんなで、灯心草くんの旅の物語を経て、「〈天使〉さんに語り聞かせる」という体裁の意味が明らかになったときの、なんとも言いがたい、切ないような衝撃は、たまりません。



なんというか、「天空の城ラピュタ」の違った結末、みたいな?

いや、スウィフトさんの原作は読んでないもので。