Gのレコンギスタ 第19話 感想
自分の思考傾向は本当に自分で考えたことなのか、そのように教え込まれたからそのように考えるようになっているのではないか。
難しいことです。
成育過程における外界からの影響を無視することなどできるはずもなく、どういったものに触れてきたか、どのような人たちと共に生きてきたのかで、その人の在り方は形作られます。
「カウボーイビバップ」でも語られていましたが、同じ遺伝子で構成されたクローン人間が居たとして、ハンバーガーしか食べさせなかったソレと、ハンバーガー以外も色々食べて育ったソレとは、果たして同じ人間に成り得るのか、みたいな。
教育環境が異なれば、思考傾向も異なるでしょう。
一方、あらゆる物事に関して「自分の考え」を持たなければならないかというと、必ずしもそうではないはずです。
何事に対しても常識を疑ってかかる姿勢は大切かもしれませんけれども、そんなことばかりしていては、哲学者に為ることはできるかもしれませんが、日常生活を送るには不便でしかたなさそうです。
人類には歴史があって、先人が積み重ねてきた莫大な思想的資産があるわけで、何もかも1から、あるいは0から生み出そうとしなくても、過去に同じようなことを考えた人が居たかもしれません。
ただ無闇に自分を疑う必要はなくて、いろんな文献にあたってみて、多様な考え方に触れて、そんな中から、自分が在りたいと思える立ち位置を模索していくことができればいいのかなあ、と思います。
問題は、そんな膨大な文献にあたることができる時間的余裕を持つことができる時期は限られていて、その時期にどれだけ自己を蓄えることができたかどうか。
ぼく自身は視野が狭い世界で生きてきたので、広大なネット世界に翻弄されつつ、あれもこれも一理あるように見えてしまい、自分の立ち位置を見失いがちです。
そんなわけで、今回のアイーダさんに、なんだか共感してしまったのでした。
物語として何が起きているのかは、もはや咀嚼しきれなくて、理解が及んでいませんけれども。
追記:
SHIROBAKO で、えまさんが猫を描けなくて詰まっていたときの先輩・井口さんのアドバイスが素晴らしくて。
「マネをしてもいいんだよ」(意訳) みたいな。
仕事では「自分で考えろ」と言われる場面が多くて、なんだか突き放されたようで途方に暮れることがしばしばあったのですが、「マネをしてもいいんだよ」とか「こういう前例があるから参考にしてみたら」みたいに言ってもらえると、すごく安心できるんですよね。
人生経験が貧困な人間がいきなり独創的な発想なんかできるはずもないわけで、偉大な先人に倣いながら、少しずつでも自分の道を模索していきたいものです。
「考える」という時に、何故だか、沈思黙考というか、外界を遮断して自分の頭の中だけからひねり出さなければならない、みたいな思い込みがあって、結局、その場しのぎの姑息な手段を採ってしまいがちなもので、
「考える」という行為には過去の文献を調査したり類似の事象を比較検討したり数字データを列挙して検証したりすることも含んでよいのだ、ということをもっとはやい段階で知っておきたかったという気持ち。
SHIROBAKO でもう1点、制作進行の新人が入ってきてみゃーもりさんが先輩になったときに、はじめのうちは裏道とかを使わないで正しいルートを覚えましょう、みたいに指導してるのも好感です。
楽な道を覚えてしまうとずるずるいってしまいがちですし。ちゃんと新人を教育できる環境っていいなあ、と思います。変な話。
ちなみに、上記の一連の文章を書くにあたっては下調べとかをろくにしていないので、考察などとは言えない、あくまで感想の域。