石田徹也―僕たちの自画像―

練馬区立美術館「石田徹也―僕たちの自画像―」展を観てきました。

展示は三つの部屋があって、だいたい1999〜2000年くらいを境にして、それ以前とそれ以降との二部屋と、製作メモのような日記のような肉筆のノートが展示された部屋がありました。

どなたかのブログか何かで読んだのですが、時系列に沿って展示されているので、作者の心情の変化が際立つような構成になっているようです。


石田さんの絵の大きな特徴は、作者の自画像とも見える男性がドーンと大きく描かれていることですが、
初期の作品では、無表情な男性が、飛行機と融合したり、折り畳まれたり、トイレに逃げ込んだりと、
風刺的ともとれるような、比較的コミカルでユーモラスな感じもあります。

しかし、徐々に、作品の雰囲気が変化していきます。

男性が描かれるのは変わらないものの、
表情から瞳の力は失せ、時には目を閉じ、時には涙を流し、血を流す作品すらあります。

また、描かれる題材も、外的な、社会的なものが多かったのが、
次第に部屋の中や病室といった、閉塞的な世界が描かれるようになっています。

このあたりは、ご本人の、
「ある時期から、メッセージ性を強調することをやめて、よりイメージに重点を置くようにしてきた」、
みたいなコメント(うろ覚え)とも呼応しているのだとは思いますが、
それだけに、後期の陰鬱なまでの作品には、胸を抉られるような痛みすら感じるような気がします。




さて、練馬区立美術館では、石田徹也展と併設して、「佐藤多持の遺作―水芭蕉曼陀羅への軌跡」展も、開催されていました。

佐藤多持さんという方は、寡聞にして存じ上げなかったのですが、
水芭蕉」を題材にしているというその作品群は、単純化された曲線として表現されていて、なにが描かれているのかは、正直なところ、わかりません。

わかりませんが、その幾何学的ともいえそうな図形は、なんだか、観ていて心地好さを覚えました。


対象の形状から主要な要素だけを抽出して再構成する手法は、
数学の「トポロジー」の概念に通じるように思います。

個人的には、加藤元浩さんのマンガ「Q.E.D.-証明終了」や、NHKのTV番組「爆笑問題のニッポンの教養(爆問学問)」などで取り上げられていたことで記憶している程度なのですが、
特に、「爆問学問」で紹介されていた、数学的な曲線の組み合わせで設計したという人工心臓との相似性を思い浮かべずにはいられません。


数学と美的感覚との親和性の高さを、改めて感じたりしました。