「羊の木」と「サニー/32」 感想

映画「羊の木」と「サニー/32」を観ました。

・「羊の木」2018年2月18日、静岡東宝会館にて。原作未読。
・「サニー/32」2018年2月17日、シネシティザートにて。

・「羊の木」は、とある海辺の市が自治体として、殺人の罪で服役していた人たちに仮出所後の生活の場を提供しようというお話。

・「サニー/32」は、二十数年前に同級生を殺害してしまった小学生のその後のお話。(と単純化するにはもう少し複雑ではありますが)

・雑にまとめると「人を殺した人」を社会はどのように受け容れるか、という問題意識が共通するように思いました。



・羊の木には6人の元・殺人犯が登場します。
・ひとことに「殺人」といっても事情も経緯もそれぞれバラバラ。
・冒頭で主人公である市役所職員の月末(つきすえ)さんが6人をそれぞれ出迎えに行くのですが、そのときに「良いところですよ、人もいいし、魚もうまい」と彼らに町のことを紹介しますが、それに対する反応もまた6人それぞれにまちまちで。

・彼らが元・殺人犯であることは一部の人たちしか知らないのですが、それでも、狭い町で外部からの移住者は目立つらしく。

・こういう疑心暗鬼は映画「怒り」とも通じるかもしれません。
・「怒り」は逃亡中の殺人犯ではないかという疑念で、元・殺人犯に対する感情とはまた異なるかもしれませんけれども
・一方で、「逮捕前の殺人容疑者」と「服役後の元・殺人犯」とが身近にいたとして、その人に対する気持ちの持ちように違いがあるのかどうか。

・「人を殺害した」という事実と、それに付随する恐怖感だったり忌避感だったり嫌悪感だったりといった感情とを切り離すことができるのか

・無差別に誰彼かまわず殺害するような人物と、特定の事情で特定の相手をやむにやまれず殺害してしまった人物とを、同列に見るのか、区別して見るのか
・過剰防衛で殺害してしまったのと、くびしめっくす中に勢いで(文字通りに)逝かせてしまったのとを、区別できるのか


・「サニー/32」は、二十数年前に同級生を殺害してしまった小学生のその後のお話。と上で書きましたが、実際にはその小学生〈サニー〉と目される女性と、彼女を〈サニー〉だと信じて信奉する人たちのお話。
・事件当時のセンセーショナルな報道を受けて〈サニー〉を特別視している人たちばかりなので、「羊の木」のような忌避感とか疑心暗鬼といった不安要素とは異なる方向にはっちゃけていきます。

・そんなすったもんだもそれはそれで興味深いのですが。

・物語の中盤、〈もうひとりのサニー〉が登場します。
・どちらの〈サニー〉がどうだとかいった真偽はさておき
・罪とは何なのか、罪を償うとはどういうことなのか、わからなくなっていきます。

・ネットを介した情報の拡散だとか、それに伴う私刑のありようだとか、動画生配信とか
・生配信界隈には疎いのですが、劇中に出てきた、視聴者のアバターが表示されて一緒に配信を見ているような体裁のあれは実在のものなのかしら
・ニコ生とはまた違ったリアクションが見られておもしろそうなのと、視聴者数がモチベーションに直結する感覚がなんとなく伝わってくる感じ。


・「羊の木」と「サニー/32」とを対比して何か書けそうと思ったけど、なんだか並べた意味が見出せなくなってしまったので、おしまい。