交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション1 感想

交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション1」を観ました。
9月23日、TOHOシネマズ川崎にて。
本編は見ていたはずですが、ほとんどすっぽりと記憶が抜け落ちていて、「よくわからないけどなんか好き」という気持ちだけ残ってます。
昔の劇場版やAOは見てません。



本作の白眉は、なんといっても「サマー・オブ・ラブ」でしょう。
いわゆるエピソード・ゼロとでも言えばいいのでしょうか、要は「交響詩篇エウレカセブン」(以後「本編」と記載)という物語の前日譚。
本編の主人公・レントンの、父親の物語です。
同時に、本編においてレントンと様々な形で対峙することになる人々が、このサマー・オブ・ラブにどのように関わっていたのかも描かれています。

他の作品を引き合いに出すと語弊があるかもしれませんが、エヴァンゲリオン旧劇場版のDEATH編冒頭に挿入されたセカンド・インパクトの映像がありましたけれども、あれがさらに詳細に、具体的に映像化されたような感覚でしょうか。

なんかよくわからないけどすごいことになってました。

計画を立案して実行までこぎつけることができたのはよかったけど、その計画に不備があることが後々発覚しても、巨大な組織が動き出してしまっていては個人の力でくい止めるのは難しい、といったような組織論のような側面もあったり。

一方で、登場人物としては前掲のアドロックサーストンパパとエウレカの関係だったり、ホランドやタルホさんとデューイお兄さんだったり、ビームス夫妻だったり、……そんなものでしたかしら、なんかもっと大勢出演していたような気がしましたが、それだけ濃密だったのかも……、といった、後に本編に登場する人たちが描かれています。

冒頭にも書いた通り、なんとなくしか覚えていなかったもので、ホランドとあの白い人(デューイお兄さん)の関係なんかはこれで知ったような気持ちでした。
あとタルホさんの軍服姿がまた素敵でして。あれがどうしてゲッコーステイトではあんなんになってしまっていたのか、気がかりです。


その後は、本編の再編集というか、時系列を入れ替えて、レントンビームス夫妻とのお話。

エウレカとの出会いやらゲッコーステイトでの生活やらがスッパリ省略されていて、ほんとにいきなりビームス一家として生活してたりするので、状況を飲み込むまでには少し時間がかかりました。
ともかく、今回のハイエボリューション1 ではあくまでもビームス夫妻の件が、それだけが中心です。

そのくせ、唐突にエウレカのことを思い出したりゲッコーステイトでの生活と対比したりし始めるので、それが必要なことはわかるのですが、ちょっとばかり不親切な感は否めません。
まあなんとなく雰囲気で、エウレカという少女と何かあったのかなとか、エウレカには何か秘密があるのかな(序盤のサマー・オブ・ラブパートでも少し奇妙な字幕になっていたのでそれも含めて何かありそう)とか、察しようと思えば察することもできますが、逆に言えばそこまで熱心に見ようとでもしなければ、わけわかんねーっと投げ出したくなりそうでもあります。

たしか本編でも前回のおさらいみたいな形で使われていた「PLAY BACK」を駆使して、時間軸を頻繁に行きつ戻りつと前後の入れ替わりが激しくて、いったい今はどこの時間軸にいるのやら、混乱しそうにもなります。
まあビームス一家の話が基準点になっていることを理解できれば、前後関係もなんとなく推察できるようになってくるわけですが。



病院のエピソードも、レントンが独り善がりで他人の話を聞かないわからずやのように見えてしまっていましたけど、エウレカのあの姿を見た後のことだとしたら、エウレカとあの少女を重ねて見ていたのかもしれないし、そう思えばガムシャラに何かしたいと行動しようとするのもわからなくもないのかもしれません。



ビームス一家のお話については、物語そのものがそれだけでそのようにあるべきものでしょうから、何か言葉を付け足すのは不粋というか、蛇の絵に足をつけたそうとしてしまうように思えるので、とくに書くべきことはありません。

しいて言うなら、レイさん素敵だなあと思います。
屋外のライブステージみたいなところで、朝のラジオ体操だか太極拳だかでもするのかというような感じでダンスってる人たちのところで、チャールズさんはレントンに声をかけるけど、レイさんはスピーカーの真ん前で向こうを向いたまま背中で踊り続けてるところとか、いいなあと思います。


そんなわけで、時系列がテンポよくポンポンポンポンとシャッフルされていくのも気持ちいいし、レイさんチャールズさん夫妻もかっこいい親御さんだし、サマー・オブ・ラブもものすごかったし、個人的には大満足なのでした。
エウレカの出番は少なかったけど。