奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール 感想

映画「奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール」を観ました。
9月23日、TOHOシネマズ川崎にて。
原作未読。

妻夫木聡さん、新井浩文さん、松尾スズキさん。
濃いです。
おじさんたちを見てるだけでトキメキます。

なんとなく、ドタバタしながらもぬるま湯なラブコメなのかと想像していましたが、もう少し闇が深めの、サスペンス要素も盛り込まれていて、望外の収穫でした。



唐突なドラえもん6巻7巻のくだりは、どう受けとめたらいいのかわからず複雑な気持ちでした。
表面上は、あんな色恋の場面にドラえもんを持ち出す男性の滑稽さを笑えばいいのだろうと思いますけれども、
同時に、ぼく自身がドラえもんに強い執着をこじらせた人間であるがゆえに、ああいう場面でドラえもんを持ち出す彼の姿を笑うことなどできるはずもなく、言うなれば自分の姿を彼に投影してしまってすらいたわけで、
その姿は、端から見たら愚かでしかなかろうとも、おそらく真剣で素直な心の発露だったのでしょう。

一方で、ヒロインさんはその場面でのセリフのおかげもあって、スネ夫さんを実写化したらこんな感じなのかしらとか思ってしまいました。
横顔のときの口先のとんがり具合とか。

そんなヒロインさんの役割は、いわゆる「器」なのでしょう。
男性の願望を具現化する、男性の望み通りの反応を映し返す願望器。

彼女を取り巻く男性たちは彼女に本心を問い質しますが、彼女自身はからっぽの器でしかないので、「本心」なんてものは無いようです。



と、ここで、つい最近別の作品でもそんな人物を見かけたのを思い出します。
「三度目の殺人」です。

つまり、本作のヒロインさんもまたポスト・トゥルースの具現であるみたいです。
ポストトゥルースという言葉をもう少し使い慣れたいだけ)

どちらかというとファムファタルという呼び方のほうがふさわしいかもしれませんけれども。

ファムファタルは、劇中の登場人物であるコーロキさんにとっての役割。
ポストトゥルースは、コーロキさんにとってでもあると同時に、観客にとっての役割でもあるのかもしれません。
(言葉の使い方が間違ってるような気がしないでもないけど、それはそれとして)



仕切り板を挟んで向かい合ってお蕎麦をすする妻夫木聡さんの姿が、三度目の殺人でガラス越しに向かい合う福山雅治さん役所広司さんの姿と重なるようでもありました。