恋妻家宮本 感想

映画「恋妻家宮本」を観ました。
1月29日、横浜ブルク13にて。
原作未読。

一人息子が独立して二人きりの生活を始めることになった50歳の夫婦のお話。

冒頭に出てきた製作会社名のおかげで少し身構えてしまい、気持ちが偏った見方をしてしまったかもしれません。
なんだか古くさい感じの夫婦観だなあと感じてしまったのもきっとそのせいだろうと思います。

とくに富司純子さんの、我慢して我慢してこれまでやってきたという激昂を「正しい」と表現したのがどうにも腑に落ちなくて。
我慢とか妥協が結婚生活を維持するために必要だというのは歪んだいびつな家族像でしかないように見えてしまいます。
「正しさ」を謳うがために我慢を強いるという部分に、本作の製作会社のニュースで取り沙汰されるような面と通底しているかのようで、イヤな気持ちになりました。

製作会社としてあの会社名が出ていなかったら、また感じ方も違ったかもしれないとも思います。
あの会社名に対する悪印象が映画の感想にまで影響してしまうのは、本来はよくないことだろうとも思います。
映画は映画単体として、外的な情報とは切り離して評価したいという気持ちもあります。
が、同時に、外的な情報と完全に切り離して考えることはとても難しいことで、役者さんだったり、監督や脚本といったスタッフに先入観を持つ場合もあります。今回はその先入観の要素が製作会社に支配されてしまったようです。



書き方が強くなってしまいましたが、我慢することそのものが悪いとまでは言うつもりはありませんでした。
他人と共同生活する中では折り合いをつけることも必要でしょう。
ただ劇中の場面からは、我慢することが当たり前であり「正しい」と言っているように感じられたもので、それに対しては異を唱えたいのです。

正確には、劇中では「正しさよりも優しさを」という主張だったので、正しさが絶対であるとは言っていませんでした。
しかしそもそも、「我慢することは正しい」というのが立脚点になっていたので、その立脚点自体がおかしいのではないか、というのがぼくの主張です。

結婚して生活する中で我慢が必要な場面もあるかもしれません。
しかし、ただ黙って我慢して耐え忍ぶのではなくて、夫婦でお互いに歩み寄って我慢の度合いを軽減する方向に進めたらいいのに、と思います。

現実を知らない人間だからこその綺麗事に過ぎないかもしれませんけれども。



もう一点、気になったのは、この場面は「正しさよりも優しさを」という発言によって解決したみたいになっているのですが、この少し前の場面では、主人公である阿部寛さんの「優しさ」は欺瞞であり自己満足でしかないと妻である天海祐希さんから喝破されていたのです。

「優しさ」というものの在り方というか概念のようなものがなんだか曖昧に感じられて、すわりが悪いようにも思えます。

最終的には阿部寛さんの「優しさ」は肯定されて終わったような印象ですが、「優しさ」と「優柔不断」の区別がつかない身としては、「お前の『優しさ』だと思っているものは欺瞞で自己満足だ」という指摘こそ胸に刺さったものの、その胸に刺さった棘が抜けないまま終わってしまったので、この棘をどう始末すればいいのか戸惑っています。

「優しさ」という固形の概念があるわけではなくて、相手との関係性によって、同じように悩み迷う態度であっても「優しさ」だと受け取られることもあるし「優柔不断」だと受け取られることもある、流動的なものなのかもしれません。

人の印象というのは「その人に対して受け手が持っている先入観による部分が大きい」という話だとすると、ぼくがこの映画に対しておかしな先入観を持って見てしまったことと入れ子のような構造になって、それはそれでおもしろいと感じることだってできたりするわけです。


それにしても天海祐希さんお若い。
いまどきの50歳ってあんなに若いのかしら。

(と思ったら林原めぐみさんをはじめ、90年代のアニメで活躍なさってた方々がだいたいそのくらいの年齢になるそうで、なんというか、不思議な気持ち)

阿部寛さんのモノローグに頼りっぱなしな話運びは、ちょっとうざったいというか野暮ったいというかクドい感じがしました。
いまどきのダメな映画の特徴としてセリフで説明しすぎというものをよく見かけていて、これまではさほど気にしていなかったのですが、これはちょっと説明しすぎなように感じました。
50歳の主人公なのにまるでラノベの主人公のようでした。
優柔不断でアレコレ悩むという性格自体がラノベの主人公っぽいのかも。


エンディングが、ちょっと変わったおもしろい趣向でした。
吉田拓郎さんの「今日までそして明日から」を、出演した役者さんたちが順繰りに歌っていくかたち。
相武紗季さんとか菅野美穂さんとか早見あかりさんとかが、それぞれの役柄で歌っていておもしろいです。

どうやら原作は「ファミレス」という題名らしく、この映画もファミレスが大きな位置を占めていて、それが最後にこういう形で締めくくられるのは案外気持ちいいものだなあと思いました。

一方で、劇中ではいがみ合ったり対立したりしていた人たちが、みんな揃ってカメラに向かって笑顔で手を振る絵面は、なんか得体の知れない気持ち悪さを感じたり。
あのぞわぞわするような気持ち悪さは何が要因だったのかしら。いまいち自己分析できていません。

あと、周りがカップルや家族といった集まりばかりな中で、独り身を決意したのが相武紗季さんだけで、全員集合したところで周りをキョロキョロ見回してたのがなんかかわいらしかったです。