セッション 感想
映画「セッション」(原題:WHIPLASH)を観ました。(6月27日分)
字幕版。
ジャズバンドのドラムス担当さんのお話。
これはものすごく難しい問題に感じます。
誉めて伸ばすか叱って伸ばすかという単純な二元論ではなくて、もっとややこしい問題に思えます。
ちょうど『きみはいい子』と続けて観たので余計に難しく考えてしまいます。
大塚明夫さんの『声優魂』で、声優になりたいからといって、専門学校や養成所に通えば安泰だと思うのは間違いだ、みたいなことが書かれています。
いわゆる芸能的な世界では、学校で教科書通りのことを学ぶだけでは、役には立つかもしれないけれども、それだけやっていればいいということはないようです。
お行儀よく授業を受けて言われるままに応じるだけでは、ある程度以上のいわゆる「一流」にはなれないようです。
一流になるためには基礎を固めた上でさらに、他人とは違う何かを持たなければなりません。
その際、「甘さ」はむしろ悪影響になりかねません。
本作の劇中、「Good Job」(上出来だ)と声を掛けられると満足してしまい向上を目指せなくなりかねない、という主張があります。
しかし、だからといって、みんながみんなチャーリーパーカーと同じようにできるとは限らないわけです。
チャーリーパーカーはチャーリーパーカーだからチャーリーパーカーなのです。
他人がマネしたところでチャーリーパーカーにはなれません。
よしんばマネできたとしてもチャーリーパーカーの劣化コピーでしかありません。
とはいえ、やればやっただけ力になるという面もまた確かなようです。
主人公さんは、序盤ではぼんやりしたようなどんくさい冴えない感じだったのですが、
終盤ではキリッとして鬼気迫る凄みすら感じるわけです。
その変化は、役者さんの役作りの賜物でしょうけれども、すごいと思います。
余談ですが、こういった師弟関係をこじらせたような愛憎こもごも入り混じったような関係性というのはやはり実質的にびーえるなのでしょうか。
あんな大舞台に引っ張り出しておきながら恥をかかせるためだけにあんなことをしたように見えましたけれども、あんなことしたら自分だって信頼が失墜するでしょうに。
そういった判断すらできなくなる状態こそ、まさしく愛なのかもしれません。
それにしても西洋の人のスキンヘッドってどうしてあんなにかっこいいのかしら。
(※2015/07/02追記: 大河ドラマ『平清盛』の話題を見かけて、あれに出てきた坊主頭は皆さん素晴らしかったことを思い出したので、スキンヘッドの良さは洋の東西を問わないのかもしれません。)
- 作者: 大塚明夫
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