ビデオゲーム THE MOVIE 感想

映画「ビデオゲーム THE MOVIE」を、ニコニコ動画の有料配信で観ました。
ニコニコ動画の配信ページ(2015年7月31日まで)→【7月31日まで視聴・購入可】映画『ビデオゲーム THE MOVIE』ネット最速上映会[有料] - 2015/06/26 22:00開始 - ニコニコ生放送

ビデオゲーム、日本ではテレビゲームという呼称のほうが馴染みがありそうですが、いわゆるコンピュータを使ったゲーム、という説明だと大雑把にすぎるかもしれませんけれども、その黎明期から現在に至るまでの過程や経緯を、各界の多方面な人々のインタビュー的な証言でたどっていく、ドキュメンタリみたいな作品。
日本では有野さんがなんやらかんやらやってらした感じなのかしら。(あれも未見)

公共放送さんとか好きそうです。
実際の商品名とかの羅列なので困難かもしれませんけれども。

たぶんアメリカのお話だと思いますが、その歴史の中で、ニンテンドーなりプレイステーションなりといった日本でもお馴染みのあれやこれやが深く関わっているのが、なんかすごいなあと思います。

アタリとかはよく知りません。
が、1978年生まれの人間からすると、だいたいビデオゲームと一緒に成長してきたような気分にすらなります。

そういえばマリオさんリンクさんとかストリートファイターあたりはたくさん出てきましたけど、ドラゴンクエストは出てこなかったですかね。
ファイナルファンタジークラウドさんが出てきましたが。

黎明期の開発者が未だご存命というあたり、ほんとについ最近出てきたばかりで急成長したメディアなのだなあと思います。

序盤では、シンプルなゲーム性のお話。
プレイヤーの操作に合わせて画面の中のキャラクターが動くという、能動的にはたらきかけることができるメディアだというお話。

だったはずが。

だんだんと、グラフィックの画像的な精緻さと、その作品世界を背後から支える物語性へと、興味が移っていったようです。
ゲームプレイヤーの興味というよりも、作り手側の興味として。

スペースインベーダーで正体不明・目的不明の侵略者をただひたすら撃ち倒すゲームだったのが、
次第に、侵略者側の目的意識だったり、プレイヤー側の動機付けだったりを必要として、物語を補強していく、みたいな流れ。

たいへんだなあと思います。

シンプルな気軽な感覚から乖離して、重厚な鈍重な作品と化してしまうと、それこそヘビィユーザーしかついて行けない世界になりそうです。

ケータイ端末、フィーチャフォンやスマフォでのぼちぼちゲーの需要には、この映画の中では触れられていなかったように思います。

「映画よりすごい」というのはまだしも、「ゲームは映画や小説と同じくらいには物語がある」みたいな発言は、ゲームを映画や小説よりも低いメディアだと(無意識かもしれませんけど)思ってしまっている表れなのかなあ、とか見えたりします。

個人的にはゲームが映画になる必要はないとおもうのですが。

おまけに開発現場の様子を見ても、設備にどれだけ投資してるんじゃろという世界で、あの規模で作ってそれをペイできる売り上げってどれだけじゃろうとか想像して、うわぁってなります。

もう少しこぢんまりでもいいのでは。

ヴァーチャルリアリティを介して身体性がどうこうみたいな方向と、それに反して、「座ったままで操作できるゲームも残ってほしい」という要望と。

「ゲーム」自体が、本来はボードゲームなりカードゲームなりといったアナログなものも含むはずで、元来、多様さを内包しているのだと思います。
(日本人の作り手さんが「トランプが云々」みたいな発言をしていたのも象徴的)

ゲーム内の「リアリティ」*1の追求もある一方、また違ったアプローチのゲームもあっていい。
そういう多様さが世界の豊かさなのではないかしら。

ピクセル』も俄然楽しみです。

以下、キーワードのメモ書き

ポン
アタリ
パックマン
ピクセル
マグナボックスオデッセイ
アタリ2600
1985ニンテンドーNES
セガ
ゲームボーイ
スーパーニンテンドー
ゼルダの伝説
クロノトリガー
セガジェネシス
1995プレイステーション
1996ニンテンドー64
1998ドリームキャスト
2000プレステ2
2001XBOX
2006PS3
フェイスブックビデオゲーム
ゲームと暴力
夏に犯罪が増えてアイスが売れるからといってアイスが犯罪を起こすわけではない
ニコラテスラ

(記録はここで途絶えている)

*1:ここでは「精緻さ」くらいの意味合い