蟲師 特別編「鈴の雫」 感想

映画「蟲師 特別編「鈴の雫」」を観ました。(5/23観賞分)
TVアニメ『蟲師 続章』公式サイト

原作未読。
テレビシリーズほとんど未見。

「棘のみち」と「鈴の雫」の2本立てなので、1本目のエンドロールで席を立たないように、要注意です。

「棘のみち」

魂の抜けるお話。

淡幽さんと泥沼の三角関係みたいでどきどきしました。

あと、fate シリーズの間桐家みたいな。

人造ものと天然ものとの間には、どの程度の差異があるってんですかね。


「鈴の雫」

草の生えるお話。

ネットスラングに脳が汚染されていると「草が生える」という言葉でつい笑ってしまうのが困りものです。

全然笑いごとじゃない、むしろ哀しいお話なのですが。

ドラえもんさんの裏山の精みたいな感じですかしら。

おおかみこどもの雨と雪とかも、あの後数年くらい経ったら、もしかしたらこんなことになっているかもしれないような気がしてきました。

逆に、もののけ姫さんは山犬でありながらも、人の部分を維持できていて、すごいというか、あれはモロさんの教育がよかったんですかね。


総括

全体的に落ち着いた静かな雰囲気が素敵ですが、時折、ジト目みたいなコミカルな表情になるのも楽しいです。
ジト目かわいい。


棘のみち

黒いのと白いのの戦いが壮絶でした。
もののけ姫さんのデイダラボッチさんみいのがぐわぁーっときて、しろいのがふわふわーっと。

渾然一体とでもいえばいいのかしら。

淡幽さんは彼のことをどう思っているのかしら。

単純に話が合うのはギンコさんみたいですけど、一応の幼なじみみたいな間柄では、何かしら思うところがありそうなものです。

彼は出張のお土産が貝殻だとか、案外、ちゃんと気遣っていそうでしたけれども。

複雑なものです。



細かい難癖としては、青年男性2人の声の雰囲気がなんとなく似ているようで、発話者が映っていない場面ではどっちがしゃべっているのかわからなくなりがちだったりしたような気がします。

手紙の筆文字も、現代日本人が見るとずいぶんと読みやすそうな書体に見えました。

観客への配慮なのかもしれませんけれども、その分、雰囲気を崩してしまう感じを受けました。
かといって、それなりの筆文字だと、まず読めない気がしますし、我ながらめんどくさい客です。

でも、そういえばギンコさんは洋装っぽい服装だった気がするので文明開化以前の時代背景というわけでもないのかしら、とか、作品世界の中では辻褄があっているのですかしら。

作中に「文字」を出してしまうと、その世界設定とか時代背景みたいな裏付けが必要になってしまって、扱いが難しそうです。


鈴の雫

コトワリさんたちが、人語を操ってまで懇切丁寧に説明してくださったのは、なんだか少し興醒めだったように思います。

もしかしたら、コトワリさんはあくまでも超越的な存在であって、光の輪さんが翻訳してくださっていただけなのかもしれませんけれども。

間違えちゃった〜てへぺろ♪、ではなくて、なにがしかの理由があればいいのに、と思ってしまうのは人間側の勝手な要望にすぎないのではないでしょうか。

間違えたとか正しいとかという評価基準を設定すること自体がおかしいのかもしれません。
コトワリさんはその超越的な意志に従って選別したにすぎず、それが山を豊かにしようが混迷をきたそうが、そういった現象を生じることそのものがコトワリさんの決定なのでしょう。
生物にとって都合がいい方向だから正しいとか、不都合だから間違っているとか、そういう善悪の二元論では語れない領域なのではないかしら、とは思います。

かといって、なされるがままでは、人間も生存を脅かされるわけで、生き延びるための生存戦略として、独善的で利己的であろうとも、人間側に都合よくなるように周辺環境に干渉していこうという姿勢は必須なのでしょう。



鈴の実が降りしきる場面。
アニメーション表現にどこまでこだわるかというのは、予算とか納期とか作業量とか、諸々の負担があってたいへんでしょうけれども、少しもの足りなく感じてしまいました。

それまでの他の場面の表現がものすごく繊細だっただけに、昔ながらの繰り返しみたいな表現では、もの足りなく感じてしまうのかもしれません。

成った実が落ちて、地面に当たって弾ける描写、はじめの数滴は丁寧に描かれていたように思いますが、その後、ぶわぁーっと降りしきるところでは、そこまでではないように感じてしまいまして。

蔓に成った実が落ちる毎に蔓に残る実の数が減っていく、みたいな描写表現を見てみたいものです。

無茶かもしれません。
ものすごく贅沢な要求だとは思いますけれども、現状では、それを1個1個描き分けるだけの技術はあるのではないかと期待してしまいます。
もちろん、それなりの資金と時間をかけることができれば、でしょうけれども。



もう一点、気になったのは、意識を失っていた人物が目を覚ますときの表現でした。

真っ暗な画面から、横一線に光が差し込んで、それが縦にぐいっと広がるという感じの、
まぶたが開いて、眼球側からまぶたを通して天井が見えるようになる、アニメーション特有のあの表現。

主人公格の、物語の視点となるべき人物ならば、その人物が見た景色として挿入されるのは、まったく問題ないと思います。
主観としては、これ以上の主観描写もそうそうないでしょう。

ですが、客体であるはずの人物が目を覚ます場面であの描写を挿入されてしまうと、誰の視点なのかわからなくなってしまうような気がします。

とはいえ、あの場面は彼女の視点で見るべきところなのかもしれず、もしかしたら、あえて意図的に彼女の視点を挿入した、と見ることもできるのかもしれません。

カメラの視点が常にひとつであらねばならないという決まりは無いのかもしれません。

ただ、個人的な好みとしては、あくまでも彼女は得体の知れない客体であって欲しいですし、彼女の心の裡はわかり得ないという表現であって欲しかったように思います。


そんなこんなで、ネガティブなことばかり書き連ねてしまったような気がしますけれども、そういった些細なことが逆に気になってしまうくらいに、作品全体の出来がよかったといいますか、丁寧なだけに、ちょっとしたことが気になったように思います。

文句ばかりで申し訳ありませんでした。