百日紅 感想

映画「百日紅〜Miss HOKUSAI〜」を観ました。
(音声注意)�f���w�S���g�`Miss HOKUSAI�`�x��T�C�g

原作未読→観賞後購入して読み始めました。

原作自体が1話完結型の連作で、その1エピソードを丸々使う話もあれば、台詞だけ持ってきたりシャッフルしたり、のようです(まだ途中)。

映画でのエピソード毎のぶつ切り感が不服でしたが、原作準拠では仕方ないのかもしれません。

いっそのこと、1本の連続した長編でなく、エピソード毎に章立てして区切るくらいしていただいたほうが見やすかったように思います。


映像は綺麗だと思います。

鮮やかすぎると感じるくらい。

ぼくが鮮やかな色彩やギュイーンな音色に反感を覚えてしまうのは、「江戸はもっと淡いに違いない」みたいな先入観を持ってしまっていて、それを拭い去れなかったためかもしれません。

ぼくの頭の中で持っている「江戸」という記号とは相性が悪かったみたいです。

作り手側の意図として、そういった先入観とか思い込み、既成概念みたいなものを打ち壊そうとしたのではないか、という推測は可能です。

ですが、少なくとも本作においては、その試みが合っているようには感じませんでした。

もっと淡い、曖昧な感じを求めてしまう気持ちがあります。

青い花』とか『かぐや姫の物語』みたいな雰囲気をイメージしました。



原作を読み始めて、この気持ちは更に強くなっています。

本作では、いわゆる怪異的なものが登場するわけですが、それらとの境界はもっとあやふやで、現実なのか夢や幻なのかわからなくなるくらいでいいように感じます。

龍の絵を描く、というよりも「捕らえようとする」エピソードの、龍の描写は、映画はお見事でした。
アニメーションの醍醐味です。

一方、酔った男性陣がキツネにつままれるところは、原作側の描写が秀逸でした。

まだ原作を読み途中ですし、原作と映画の違いをあげつらうのもあまり品がよくない気がするので、できる限り自重するように努めたいとは思います。

が、映画を見ている最中、「アニメーションではこのように描写しているけど原作ではどうだったのだろうか」と考えながら見てしまっていたように思います。

これは明らかに、ぼく自身が映画を観賞するにあたっての心構えが間違っていて、一方的にこちらに非があります。



原作付きの作品を映像化するにあたっては、おそらく、原作のどの部分を抽出するかという取捨選択が行われると思いますが、
この作品に関しては、映画の作り手側が抽出した部分と、ぼく個人が原作に対して「おもしろい」と感じる部分とに齟齬があるように思います。



原作をまだ読み始めたばかりではありますが、姉弟子さんの存在は、お栄さんとの対比として大きいと思うのですけれども、映像化するのは難しい部分でもあるのかもしれません。

映画では、まるでダイジェスト版であるかのようにエピソードのぶつ切り感、継ぎ接ぎ感を覚えてしまいました。

原作も、一見すると、1話完結型の個別のエピソードの連作であるかのように見えますが、途中まで読んだ感触として、各エピソードが有機的に連結しているように感じるので、その一部分だけを抜き取ってつなぎ合わせたところで、フランケンシュタインの怪物にしかならないのかもしれません。

フランケンシュタインの怪物さんも、それはそれで、人造物として魅力的なのかもしれませんけれども。

そんなわけで、観賞者に「原作を読みたい」と思わせることができたのであれば、商業作品としては成功なのかもしれません。

余談ながら、『ドラゴンボール』からの『百日紅』という観賞順序は、上映時間の都合とはいえ、我ながらむちゃくちゃかと思っていたのですが、
正直、この順番で見てよかったと思っている気持ちがあります。

「地獄」があんなお花畑なのであれば、悲しむことはありません。