ユリ熊嵐 感想

いやはや、なんともすごいお話でありました。

遊びみたいな冗長さがほとんどなくて、必要なパーツだけでみっちりと精緻に組み上げられたような、濃厚で稠密で純粋な結晶体という感じ。

「ユリ」とは銘打っているものの、いわゆる「ユリ」という語感から思い浮かべるような淡いふわふわした(今日マチ子さんや志村貴子さんのカラーイラストのような)水彩画みたいな感覚ではなくて、もっと濃密で輪郭がくっきりとしていてべっとりねっちょりしたような感じに思えました。

椿輝紅羽さんの決断には驚きましたが、るるさんとみるん王子も良かったです。



で。

「透明な存在」であらねばならないということが、いまひとつ、ぼくにとってピンときていないのかもしれません。

ぼく自身が持つ「透明な存在」のイメージは、授業の合間の休み時間を寝たふりで過ごすような、他のクラスメートから居ないものとして認識すらされない感じのものでしたので、
クラスメート全員が揃って「透明であらねばならない」というのは、どういうことなのか、ちょっと、想像が及びませんでした。

最近のラノベでしばしば描かれるような「カースト制度」的な関係性ならば、まだ実感として、納得できる気がします。

が、このユリ熊嵐で描かれた教室では、あるいは学校規模ですらも、主導的で扇動的な存在は居るものの、基本的には横一線の対等な関係であるように見えます。

特権的な層が主導する役割を担うにしても、トップダウン的な主従関係というよりは、もう少し調和的な、あるいはお互いに牽制し合うような間柄だったように、思います。

(余談ですが、主導していた人物が不在になっても、すぐに別の人物が主導的立場におさまって、同じような扇動をするというのが、「どくさいスイッチ」でジャイアンさんを消してもスネ夫さんなり誰なり第2・第3のジャイアンさんが現れるみたいなのを思い出しました。)

統率を乱す「悪」を排除するか、外敵としての「熊」を排除するか、という、明確な敵を設定することで集団を一致団結させるような「イヤなイヤなイヤな奴」メソッドみたいな感じなのかもしれません。



排除の儀も怖いなあと思います。

本来であれば満場一致システムのはずなので、「悪」はただ1人だけ選抜されて2位以下の順位が付くはずが無いのですが、にもかかわらず2位になってしまう田中花恋さんの存在が哀しいということもありますし、それは同時に田中花恋さんに投票した人が居るかもしれないというのが不気味です。

泉乃純花さんの時は離反したのが即座に発覚してしまって陰惨なことになってしまったように記憶していますが、田中花恋さんは、どうなのでしょうか。


1. 田中花恋さん自身が自分に投票している場合

泉乃純花さんと同様に透明な嵐の標的になってしまう可能性があるので避けるのではないかと思いますが、もしかしたら田中花恋さんが純花さんを慕っていたりして敢えて同じように振る舞っているのかもしれないとも考えることができそう。


2. 特に明記されないクラスメートの誰かが投票している場合

クラスの透明な意志に離反することは即ち悪であり排除されねばならないという圧力の中で、そんな危険を冒してまで田中花恋さんに投票しなければならないだけの動機を持ち得るのか、ちょっと、想像が及びません。


3. 椿輝紅羽さんが投票している場合

透明な嵐のお咎めが無さそうという意味では、それなりに信憑性がありそうにも思えます。

あの椿輝紅羽さんがそこまで執着するだけの何かを田中花恋さんが持っているのかもしれません。


4. 泉乃純花さんが投票している場合

ホラーですね。

クマリア様の姿になってまで田中花恋さんに投票するとか、ものすごい怨念が込められているのかもしれません。


5. 百合園蜜子さんとか大木蝶子さんとか、主導的な立場の人が投票している場合

咎めは無いでしょうけれども、あの人たちがわざわざ田中花恋さんに投票するような積極的な動機も無いように思えます。


6. 1人で複数票の投票が認められている場合

田中花恋さんに投票したのは1人だけだと想定していましたが、田中花恋さんは2位であり3位以下も居るのであれば、複数の人物が投票しているはずで、そうなるともうわけわかんないです。

そこで考えられるのが、1人1票とは限らない可能性。

持ち票が複数あってそのうち最低1票は必ず椿輝紅羽さんにする、というシステムであれば、2位以降も順位が出ることに納得はできそうです。


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学校教育では「個性を大事に」みたいな、個の色を伸ばす方向を模索しているように、テレビのニュースあたりの情報源からは見えるのですが、学生さんの側では自分たちで個性を押し込めるような「透明であること」を志向する同調圧力みたいなものが生じているのだとすると、厄介だなあ、と思いつつ、これは学校に限らず、この国のそこかしこで生じる出る杭は打たねばならない雰囲気を示唆しているのかもしれず、断絶の壁の閉塞感。