風に立つライオン 感想

映画「風に立つライオン」を観ました。

原作未読。



遠く、ケニアだかスーダンだかの紛争地域へ出向いて傷ついた人たちの治療をする日本人医師のお話。

だと思うのですが。



エンディングに流れる曲の歌詞の、映画本編で描かれた内容との乖離がひどくて、ものすごく混乱しています。

ビクトリア湖キリマンジャロ雄大さの中でイキイキと生きている人々を見ると、現代日本社会は何か大切なものを忘れているのではないでしょうか、みたいな歌詞だったと思うのですが、
この映画の中では、その雄大な自然の中で育った人々が殺し合い、子ども達に地雷原を歩かせてケガをさせて、クスリ漬けにして殺戮機械のように変貌させている現状を描いているわけです。

そんな世界が幸せだなんて、ありえません。

個人単位で小さな幸せを見出すことはできるかもしれませんけれども、そんなことを言ってしまうと、「戦争の中でしか生きている実感を得られない」みたいな言説を認めることになってしまいます。

死の恐怖に怯えて生きるだなんて、おかしいし、あってはならないと思います。
あってはならないから、目を逸らすし、見なかったフリをします。
あくまでも、どこか遠くの見知らぬ世界の出来事にすぎません。
昔の人たちが築き上げてきてくださった平和な世界を、たとえかりそめであろうとも、安寧の中で享受できれば、それで結構ではないですか。
家畜の安寧、虚偽の繁栄、大歓迎。
壁の中に閉じこもっていてもいいじゃないですか。
何も悪いことなんてありやしませんよ。

……、という極論のような暴言を吐きたくもなろうってなものです。

人物配置としては、アフリカの地で治療活動に励む主人公医師と対比して、日本国内、長崎五島列島でほとんど唯一の診療所として働く医師の姿も描かれます。

わざわざ遥か遠くへ行かずとも、日本国内にだって医師不足で困っている人たちは居るわけです。

もう一人、主人公医師と一緒にアフリカへ渡航しながらも、任期満了に伴って帰国した医師も描かれます。

閑疎な漁村とも対比する形で都会の医師の姿を描くこともできたのかもしれませんが、そこまでするとお話の焦点がわからなくなってしまうおそれもあったかもしれませんし、病床が満杯で救えなかった患者さんを描いたことで充分かもしれません。

ともあれ、ケガの患者さんを治療したり孤児たちを教育したりと奮闘する主人公医師の情熱を誇らしげに描きながらも、国内にも山積する課題の一部を挿入することで、なんとなく奇異なような違和を感じるような描き方になっていたような気がしました。



結局のところは、主人公医師は能天気で楽観的な人物で、自分が居る場所の危うさをわかっていなかったように思えます。

現地の人の忠告には耳を傾けることも必要だということかもしれませんし、
もしかしたら、あたかも平和なように思えるこの国でもああいうことは起こり得るかもしれないという観賞者への警告なのかもしれません。

自分だけは大丈夫だろう、という楽観的な思い込みの危険性。

それにしても、銃声や爆発音は、ほんと恐ろしいです。

あからさまな、来るぞ来るぞと身構えさせた上での、ドカーン!、という演出は、ホラー映画の手法に近いのかもしれません。