冴えカノ 第8話 感想

別に完売させてしまっても構わんのだろう?



主人公さん、やはり有能なのですね。
ムカつきますけれども。

このムカつきはおそらく、ぼくが持っていないものを、あのいけ好かない主人公さんが持っているということに対する妬みや嫉みであろうことは自覚しているつもりですけれども、
ここまで反感を覚えながらも固執してしまうのにも、何かしら要因があるのかしら。

たとえば、ラノベの主人公特有の(という大雑把な括りが適切なのかわかりませんけれども)、鈍感さ。

あれだけマンガラノベ趣味をこじらせていながら、周囲の女子の人たちに対して、あんなにも無関心でいられるものなのか。

ありえない。

とぼく自身は思ってしまいますけれども、ややもすると、これぞ最近流行の、虚構と現実の区別がつかない症候群というやつを罹患しているということかもしれません。

虚構と現実との区別がしっかりとできている人であれば、身近な女子の人たちが妙に自分に対して優しく接してくださっているように感じても、それを自分に対する好意の表象なのかもしれないなどという勘違いはしなくてすむのかもしれません。

なるほど、悟り世代。

月刊少女野崎先生か。



とはいえ、構造的には少しばかりややこしい視点になってしまう面もあって、
つまり、
1. 読者/視聴者から見れば、この作品はラノベ/アニメでしかないわけですが、
同時に、
2. 作中の人物たちもラノベ/アニメ/ゲーム/同人誌といった分野を知覚しているし、それどころか創作すらしている、
という構造なわけで、
(いちおう理系を選択してきた身なので本来であれば論理集合的な記号で説明するべき場面ではありますが、恥ずかしながら知識が足りていないので付け焼き刃的な使用は控えたいもので)、

"1" の立場の内側に"2" が含まれるはずなのに、"2" の立場のキャラクターがあたかも"1" の側を知覚しているかのように感じてしまうという、(あまり詳しく知らない用語を使うのは躊躇われますが)、「メタ」と呼ばれる種類の構造に分類されるのではないかと思います。

そうなると、作中のキャラクターたちが「一見すると視聴者であるこちらのことを知覚しているかのように見えながらも、実際の振る舞いからするとこちらのことなんて何もわかっちゃいない」みたいな無理解に対する失望感のような、めんどくさいわがまま身勝手な感情を抱いてしまいます。

そういうこじれためんどくさい視聴者を相手にしなければならない客商売というのはたいへんだなー、という小学生並みの感想。