SHIROBAKO 第19話(2回目)感想

本編の内容とは少しズレた感想になりますけれども。



少し上の世代の、あの仕事へかける情熱というのは、何故だか胸を打たれるのですが、あの「モーレツ」と揶揄すらされるような熱量というのは、どこから発しているのかしら。

現代日本社会において、あそこまでの熱量を維持し続けていられる方々って、どのくらい居るものなのかしら。

大半は、平岡さんや矢野さんみたく、現実との壁を見てしまって折り合いをつけてしまうのではないかしら。

いや、もしかしたら、案外知らないだけで、こんなに仕事をイヤイヤしているのは、ぼくだけだったりするのかもしれませんけれども。

それでも、このお話で描かれているような情熱みたいなものは、少なくともうちの職場では、そこまで強くは感じないような気がします。

もちろん張り切っていらっしゃる方々も大勢、居るには居るのですが。

夢とか情熱とかいう単語を使うとなんとなくかっこよく見えますし、それによって経済成長が支えられていたのかもしれませんけど、
そのせいで労働条件などが犠牲にされてきたのかと思うと、いろいろ複雑でもあります。

日本アニメ(ーター)見本市同トレスなんかを見る限りでは、創り手側の方々はすごい熱さを持っていらっしゃるようですが、それを謙遜というか韜晦なさる傾向も見受けられて、ある種の「いかにもな日本人」のステロタイプにも見えてしまうのかもしれません。

が、あれは、「SHIROBAKO」内でも、今では「すごい」と称されるような方々が「別にすごくはない」と謙遜なさるのと重なる気がします。



ハケンアニメ!」には、みゃーもりさんよりも少し年齢を重ねた制作プロデューサーさんが出てきて、
本編ではなく外伝みたいなところで、「関わった全部の作品に同じように情熱を注ぎ続けることができるか」みたいな部分が描かれているっぽいのですが、(まだ序盤部分をちらりと目にしただけですが)、
矢野さんもそういったものを経験してきたのかもしれません。

みゃーもりさんはまだ、「作りたいもの」がそこまで明確には持てていない気がします。

以前、飲み会の場でみゃーもりさんが自分だけ明確な目標を持っていないみたいに悩む場面がありましたけれども、
そんな中でもあれだけ仕事を処理できる能力があるというのはすごいなあ、と思います。

この先、何のために仕事をしているんだろう?、みたいな壁にぶち当たる日も来るのかしら。

基本的にアニメーションが大好き、というモチベーションだけで乗り切れるものなのかしら。