野のなななのか
映画「野のなななのか」を観ました。
原作未読。
北海道を舞台にした、しんだり生きたりなお話。
うちの地元では四十九日(しじゅうくにち)呼びだったので、「なななのか」という言い方は初知りでした。
戦争やら原発やらに対する主張がものすごく強いです。
劇中の人物が観客に語りかけてくるような部分もあって、舞台演劇ってよく知らないけどこんな感じなのではないかしら、と想像する次第。
会話のテンポなんかも演劇っぽく感じました。
あと、オープニングから全開のちんどん屋さん。
太鼓の人がさよなら人類なたまさんっぽいと思ったらご本人なご様子。
あのちんどん屋さんはほんと不思議な存在ですが、それだけにとても印象的でした。
お話としては、元・町医者で現在はがらくた集めの資料館的なのを細々とやってたおじいさんが亡くなったりなんだりで、親戚、といってもおじいさんの妹さんと孫4人と曾孫さん1人くらい?、が集まって葬式だお通夜だ火葬だなななのかだ、みたいな。
そこへ謎の女性常盤貴子さんが紛れ込んできてややこしいことややこしいこと。
安達祐実さんの存在感もあいまって、なんかすげーってなりました。
安達祐実さんの役柄を本物のJKくらいの世代の人が演じるのとは、また意味合いが違いそうな気がします。
常盤貴子さんの学生服姿も見ものです。
今年はなぜか北海道がトレンドのような感じがあって、どことなく、いわゆる「内地」とは感覚が異なる部分もあるのかな〜とは思っていましたが、終戦の意味合いもずいぶん異なるご様子。
学校で教わった通りに8月15日を鵜呑みにしていましたが、そんなにすっぱり戦争が終わるわけないのですね。
本作はカラフトを扱っていますが、こうなると北方四島が舞台っぽい「ジョバンニの島」を見逃したのは返す返すも残念無念。
円盤探せばいいのか……、機会があれば。
逆に「思い出のマーニー」はそのあたりにはまったく触れませんでしたね。
原作がイギリスというのもあるのでしょうけれども、わざわざ北海道に舞台を移したというのに。
現代と祖父母世代とを描こうとしたら当然時代背景が大切になってくるはずで、さらに戦時下の日本における外国人の扱いなんてデリケートな問題にまで踏み込むとなると、それはもう主題の設定から見直さねばならなかったはずで、それゆえに宮崎駿さんはマーニーの舞台に瀬戸内を推薦して問題を回避させようとしたのではないかと想像してみたり。
と思ったものの、本作は曾祖父母世代だったことを思い出して、今や祖父母世代ですら戦争を知らない時代なのかと愕然としました。
まあ、戦争だの原発だのフクシマだのといったマクロなことを考える余裕なんてなくて、目の前の仕事でどうにかして怒られないように済ませたいとか画策している程度の小さい社畜にとっては、所詮は絵空事にも思えます。
そういえば「空」で思い出しましたが、中原中也さんは結局かじろうとしただけで頓挫した苦い思い出。
そんなわけで、前半では、人物の顔を大写しにした上でさらにぐっと寄っていくみたいなカメラの動きが多くて何これ笑うところなの?、くらいに思ってしまいましたごめんなさい。
最後、エピローグ的な場面で、ちんどん屋さんの演奏を背景に、孫兄弟(おっさん)ふたりだったりご老体ふたりだったりが草原に背中合わせに座ってあーでもないこーでもないと語っている場面がいちばんの眼福ポイントだったのではないかと思ったのでした。