一〇年代文化論 感想

さやわか「一〇年代文化論」、星海社新書 46

一〇年代(笑)の「残念」なお話。

前書きで自己言及されているとおり、「十年単位に囚われているだけでバカバカしい」。
素直に「今どきの若いもんは……」と言えないがために、どうにかこうにか「若者文化」に理解を示そうとしているのかしら。
周囲にカゲロウプロジェクトを「わかる」人が居ない、と嘆いているのと似た感覚を感じます。

自分語りになりますが、カゲロウプロジェクトはよくわかりません。
アニメ化にあたっていろいろと話題になっていたのを目にした限りでは、

  • 1.「初音ミク」さん等のキャラクター性から完全に分離した物語世界になっていること、
  • 2.メディア毎に(ネット動画版、小説版、まんが版、アニメ版、等)、並列に異なるルートを辿っていること、

の二点が、「新しさ」だと言われているように見受けられます。

正直なところ、だからどうしたの?、みたいな。


1.に関して、初音ミクさんという存在は、鏡音リンレンさんや巡音ルカさんその他も含めて、キャラクター性ありきという面が確かにあったように思います。
「ミクさんが(あるいは、リンさんが、ルカさんが)歌っている」ということに、意味を感じていた時期がありました。
調声が見事で、人が歌っているように聞こえたりすると、すごい、と感心したものです。

ところが、私事に追われてしばらく離れている間に、IAさんとかいう、姿形や名前という記号・キャラクター性から解放された「楽器」が登場していました。
そのあたりから、「わからない」感覚が増えた気がします。
歌い手さんが見えないって、不安です。
音楽の好き嫌いもあるのでしょうけれども、何が良いのかわからない。
メルトや炉心融解やダブルラリアットみたいな明快な「良さ」を感じられなくて。
これが歳をとったということでしょうか。

初音ミクさんというキャラクターから自由になった先行作品としては、護法少女ソワカちゃんが挙げられるのではないかしら、と思いました。

ちなみに、上記文章の大半は「一〇年代文化論」とは関係ありませんので、あしからず。