グスコーブドリの伝記 感想

映画「グスコーブドリの伝記」を観ました。
原作既読。

イーハトーブの偉人、グスコーブドリさんの伝記ものです。

宮沢賢治の代表的な詩であるところの「雨ニモ負ケズ」を、そのまんま体現したような人物、という記憶でしたが、
この映画では、さほど、世のため人のためが前面に出てはこなかった印象です。

妹のネリさんを探し回る部分とごっちゃになってしまっているのが、散漫な印象の元かもしれません。
ネリさんをさらっていったマントさんが、結局のところ何者だったのかはっきりしません。

おかげで、クライマックスの、グスコーブドリさんが命をかけて火山を噴火させようとした、という部分も、何やら外的な要因によってそうさせられてしまったみたいな誤解が生じてしまう危険性があるのではないかしら。

幸村誠さんのまんが「プラネテス」でも引用されたように、このグスコーブドリさんという人物の生き様は、世のため人のために、科学技術に殉じる純粋な願いの在り方だろうと思っていたのです。

原作を読んでからずいぶんと歳月が経っていて、頭の中で勝手に内容が改変されて記憶してしまっているのかもしれませんが、
自分の中のグスコーブドリ像とはちょっぴり違った印象のグスコーブドリさんが、映画の中にはいました。

人物造形が猫さんというのは、とくに気にならないというか、むしろ猫さんでよかったろうとは思います。
人間様の姿で描いたら悲劇にしかならなかったでしょう。
猫さんの姿をしているからこそ、英雄譚として観ることができるのではないかと思います。

それだけに、結末があんまり英雄っぽくない、というのも、むしろあえてそうしたのではないかと、思えてきたりもします。

そんなわけで、なんだかんだいっても、「雨ニモ負ケズ」の引用に泣かされたのでした。