電脳コイル5

宮村優子電脳コイル5」(トクマ・ノベルズEdge)を読みました♪

某NHK教育で放送されて、現在大絶賛再放送中なTVアニメ「電脳コイル」の小説版です。

折り返し点のはずがそうでもないような?「全体の半分を消化するはずが、入り切らなかった」展開みたいです。

で、お話は、著者の人の宣言通り、ますますTV版からかけ離れてきました。

いちおう、夏祭りが中心なわけですが、TV版のダイチの「果たし愛」とは桁違いに緊迫感が増しています。

TV版では、肝試し大会の前に夏祭りでしたが、小説版では既に4巻で肝試しが済んでします。

夏祭りに意味が付与され、過去の出来事と結び付いて、物語の核心へと向かって行くようです…


えと、アニメ版と小説版との違いについては昔書いたような気がするので割愛して、
今回は、小説版の特徴みたいなところのお話でも。

本作は、一人称で語られていきます。

で、その視点というか語り手が、ころころころころ、入れ替わるわけです。

主なところで、ヤサコ、イサコ様、ハラケンの三人に加えて、おばちゃんこと原川玉子やメガばぁが語り始めたりします。

そして、謎の人物マリリンマリーン。

4巻の終わりで不思議な邂逅を果たしたりしましたが、未だに正体不明です。

間違なく、物語の鍵を握る一人なはずなのですが…


それから、毎巻頭のプロローグの、原川玉子おばちゃんによる昔話というか回想。

推理小説によくあるような、事件の手掛かりが小出しに明かされていくような、絶妙なさじ加減です。

特にTVの本放送時には、いろいろとミスリードに振り回されたものでした。


で、ヤサコとイサコ様とハラケン。

TV版では、カンナ一筋なハラケンと、男運が悪すぎるイサコ様が、腹黒ヤサコに籠絡されてしまうという、ヤサコ一人勝ちな展開でしたが(あ、再放送でご覧の方にはネタバレですが…)、
小説版では、ハラケンもイサコ様も、もちろんヤサコも、より陰湿に、ギスギスした心理戦を展開します。

視点の切り替わる一人称の効果が抜群に発揮されます。


まったく根拠のない印象でいうと、テレビ版がどこか牧歌的で田舎的で昭和の匂いがするのに対して、
小説版は都会的で平成な雰囲気?でしょうか…

大人たちとの断絶や、疎外感、閉塞感のようなものが強くて、自分一人で全部抱え込んで、相手のことを考えすぎてドツボにはまるような…

小学生なんですけどね?