不気味で素朴な囲われた世界

西尾維新不気味で素朴な囲われた世界」をようやく読みました。
きみとぼくの壊れた世界」の、長野県、じゃなくて、パラレルワールド、だそうです。

裏表紙をそのまんま引用すると、

時計塔が修理されない上総園学園の二学期の音楽室。
そこから始まった病院坂迷路と串中弔士の関係。
歪な均衡を保つ学園の奇人三人衆、串中小串、童野黒理、崖村牢弥。
そして起こってしまった殺人事件。
迷路と弔士による探偵ごっこの犯人捜しが始まり、崩れたバランスがさらに崩れていく……。
これぞ世界に囲われた「きみとぼく」のためのミステリ!

だそうです。
登場人物が中学生であることが表記されてないのと、弔士のクラスメイトの伽島不夜子さんの名前が挙がってないのは、ちょいといかがなものか、という感じですが…

ぼく個人の持っている「西尾維新のイメージそのもの」なお話だと思いました。


内容としては、将棋、でしょうか…
将棋のコマを知っているのが前提、みたいなとこがあります。

もしかしたら、「ミステリー小説」というジャンル自体が、「ミステリー小説」を知ってることを暗黙の了解としていることに対する皮肉なのかしら、なんて穿った読み方をしてしまいます。


タイトルの「囲われた世界」というのも、本文中では、中学生が感じる、学校を中心とする日常生活の閉塞感、として描写されています。

が、読後には、「ミステリー小説」というジャンルの閉塞感、を「囲われた世界」として表現したのかな〜って感じます。


人が人を殺し、複雑なトリックで隠蔽を謀る。
探偵がそれを看破して、犯人を追い詰める。

もちろん、作品を個別に読めば、そんなに単純なわけではないですが、
いわゆる「お約束」みたいなものもあるわけです。

よく言われるように、探偵の周りでばかり事件が起きたり、犯人が必要以上の労力をかけてまで複雑なトリックを仕掛けたり。

そういった「お約束」に真正面から向かい合うと、こんなことになっちゃうのかな〜、という感じでしょうか…

西尾維新さんの作品は大概そんな傾向はありますが…


自分の話をすると、中学生くらいで「金田一少年の事件簿」にハマったり、TVの2時間ドラマを観てたりで、「人が死ぬ」のが「当たり前」なミステリー観で育った部分があります。
なので、この手の「メタ」なミステリーを読む度にいつも、いろいろ考えさせられます。

あ、萌えキャラ殺しは健在ですね